上の広基が一歳の春、自分の足で歩くのが楽しくて仕方ないころ。保育園までの道のりをおぼつかない足取りで一生懸命歩いて通っていた。大人なら四分の道を二十分かけて歩く間、通りすがる人たちが声をかけてくれる。同じマンションに住む子のパパ、ママ。登園途中の保母さん、調理師さん。子供を預けて園から駅に向かうほかのクラスの子のお母さん。
本当にたくさんの人が「ひろくんおはよう」「ひろくんがんばれ」「ひろくんすごいね」「もうちょっと」……。笑顔で声をかけてくれた。それに励まされた広基は、誇らしげな顔で一歩一歩園に向かってあゆみを進め、ついにたどり着いたときには満面の笑みを浮かべたものだ。
こんなとき「ああ、子供は親だけで育てているのではないな」と痛感する。育児世代が多いこの街では、外で遊ぶ子供たちと、それを見守る大人たちの姿が絶えることがない。僕らの住むマンションの段差がある敷地は、遊具がなくても子供たちの格好の遊び場だ。夢中でかけまわる姿を見ていると、腰を落ち着けて住み続けていきたくなる。
親の我々にとっても、昔ながらのしがらみめいた関係とは少し違った、緩やかな結びつきが心地よい。
広基が二歳になったころ、僕の職場が通勤時間二時間ほどの場所に移転することになった。保育園の送迎をしつつ、今の家から通うことはできないので、転居する必要がある。しかし、せっかく親子でここまでなじんだ街を離れる気はしなかった。上司と相談のうえ、通勤可能な職場に異動することにした。勝手知ったる働きやすい職場を離れる不安はあったが、よい保育園と住みなれた街に代わるものはない。特に広基は、生後四カ月から今の保育園で生活し、保母さんたちを親のように信頼している。もはや「第二の家」なのだ。見知らぬ街の見知らぬ保育園に転園させる気はしなかった。
幸い新しい職場でも育児への理解は得られ、二人目の尚紀の誕生後に育児休業を取得することもできた。僕の家族責任を尊重して、会社や上司、そして同僚たちが払ってくれた、手厚い配慮に感謝している。
おかげで子供たちは近所の人々に見守られながら、すくすくと育っている。