八月十二日、もうすぐ昼休みというとき、保育園から職場に電話が入った。尚紀の熱が三八度を超えたという。朝は軽くセキをしていたくらいだったのに。電話で妻と仕事の都合を確認しあう。二人とも急ぎの仕事があるが、少しましな僕が迎えに行くことにした。同僚に急用で帰るとメールを入れ、上司の了解を得て職場を後にする。歩きながらも、仕事の段取りが頭をよぎる。うーん、今週は厳しいなぁ。
一般の保育園は、子供が病気だと預けられない。朝、調子が悪ければ登園できないし、登園してから具合が悪くなれば職場に連絡が入り、すぐ迎えに帰らなければならない。「およびだし」は保育園に子供を預ける家庭の宿命だ。
最初は特に、いろんな病気にかかるから毎月のように「およびだし」がある。治るまで数日かかることも多く、年休が二十日あっても足りないくらいだ。祖父母に頼れる家庭もあるが、「長く」「男女とも」働く時代を迎え、祖父母が現役労働者であることも多い。それでなくても、祖父母にも独立した生活がある。我が家では、極力夫婦で対応するようにしている。
子供の調子が悪いときは側にいてあげたいのが親心だが、仕事はまた別の都合で動いている。「どうしてもこの日は出なければ」という日もある。仮にそんな日が四日に一回なら、子供が年に二十日病気になると五日は都合がつかない。だから一人で対応すると仕事との両立は本当に厳しい。
夫婦で育児をしていると、こんな時に融通がきく。四日に一回都合が悪いなら、夫婦両方の都合が悪いのは十六回に一回。交代で休むから、むりに休むのは結局三十二回に一回、年に一度もない。年休のやりくりも違ってくる。二人で分担すると苦労が十分の一になることがあるのだ。
保育園に着くと、尚紀は保母さんに抱かれている。僕を見てにこっとしたのでひと安心だが、顔色は良くない。抱き取ってみるとかなり熱があるようだ。
へにょっとした尚紀を抱きながら家に歩いていると、学校帰りの小学生と一緒になった。顔見知りの子が尚紀のことを心配してくれる。こんな時間に尚紀と二人で歩くのは久しぶりだ。育休の間のことをちょっと懐かしく思い出した。