上の広基が一歳児クラスに進級し、夫婦交代で保育園の送り迎えをするようになったころの話だ。僕が迎えに行くと、広基と遊んでいる年上の子供たちに「どうしてひろ君のおうちは、お父さんがお迎えに来るの?」とよく聞かれた。「お母さんは今日お仕事だよ。うちはかわりばんこなんだ」と答えると、きょとんとしていた。
こんな小さいころから、「お迎えはお母さん」と子供たちが思うのはなぜだろう。それが「あたりまえ」だからだろうか。
保育園には女性が多い。広基や尚紀が通う園でも、男性は園長先生だけ。他はすべて女性職員だ。保父さんも探したけれど数が少なくて難しいという。体育指導の時間を設け、男性の先生を呼ぶなど、女性だけにならぬよう苦心している。
送り迎えも、母親が圧倒的に多い。特に、迎え当番は残業できないので、夕方父親の姿を見ることはほとんどなかった。「お迎えはお母さん」と子供が思うのも当然かもしれない。
「女性の方が育児に向いている」と考える人もまだ多い。だが実際に育児をしてみると「男性が育児に不向き」ということは特にない。はっきりした差といえば、男性はおっぱいが出ないことぐらいだが、女性も出るとは限らない。授乳だけが育児ではないし、よいミルクがある今では、これはたいした差ではない。育児の向き不向きは、性別の問題というより、むしろ個人の資質の問題のようだ。
そうはいっても社会に染み付いたイメージは簡単には変わらない。育休が明けて間もないころ、遊びに来た女の子と広基のおままごとを見ていたら、「オレが会社に行くから、お母さんはおうちでまっててね」と広基が仕切っていた。普段自分をひろくんと呼ぶ広基がオレという姿はおもしろかったが、「うちにいたのはお父さんだったろ」とちょっと言いたくなった。
ところが最近、保育園で「どうしてお父さん?」を聞かなくなった。子供たちが僕を見慣れたせいかと思っていたが、それだけではないようだ。気が付くと僕のほかにも「迎え当番」をするお父さんが数人いた。
子供たちはよく見ている。もう「迎えに来るお父さん」は、聞くほど珍しくはないのだ。三年の間に世の中は少し変わった。