六月二十八日、土曜日。もう初夏といっていい、日差しの強い一日。たまりがちだった掃除と洗濯を一気にすませることができた。
夕方になって風が涼しくなってきたので、家族みんなでポクポクと団地の中の散歩に出かけた。ようやく枝が張ってきた若木の下、木漏れ日とそよ風がとても心地よい道を、上の広基が下の尚紀のベビーカーを押してゆく。久々に家事が片付いてすっきりした気分の妻と僕は、そんな広基とたわいない話をしながらのんびり歩いていた。
ほんの二十分も歩いたろうか。突然広基が振り返り、「いつまでもいつまでも、このままいけたらいいねぇ」とニッコリした。僕は泣きたいような不思議な気分になった。家族一緒のひとときを喜ぶ広基の気持ちがうれしかった。「子供は三歳までに一生分の親孝行をする」という言葉が頭に浮かぶ。本当はいつか巣立っていってしまう子供たちだからこそ、こんな時間を大切にしたい。そう思った。
夜になり子供を寝かせてから、二人でしみじみ「かわいかったねぇ」と話をした。なぜだろう、最近前にも増してこんなささいな出来事が心に残る。そういえば、以前保育園でお母さんたちと話をしたとき、「うちの夫は仕事が忙しくて……。こういう喜びを味わえないのはかわいそう」という話を何度か聞いた。その時は「そういうものか」と思ったが、今はなんとなくわかる気がする。
子育ての報酬とは、こういった形に残らない思い出の積み重ねではないだろうか。子供と向き合い、子供と接しなければ決して得られることのない幸せ。子供たちと過ごした育休の日々が、僕の中にそんな幸せを感じ取る心を育ててくれたのだろう。
そして、子育ての中の出来事は、ほんのささやかなことなのに、夫婦で分かち合うと、とても満ち足りた気分になる。逆に、もし話をしたとき「仕事で疲れてるんだ」と生返事でろくに聞いてくれなかったら、どんなに味気ないだろう。
仕事は大切だ。生活を支える基本だから、あだやおろそかにはできない。でも仕事では味わえないものが、日々の子育てにはたくさん隠れている。仕事一辺倒でそこを通り過ぎてしまうのはもったいない。