わくわく日記〜末長地区

他地区へのリンク→  [菅地区]  [生田地区]  [宮前平地区]  [木月地区]  [中原地区]

2002年11月
 11月28日夜7時より、末長小特別活動室(ランチルーム)にて、 わくわくプラザ説明会が行われました。 普段校門が閉まった後の校舎への出入りは職員室前の正面玄関からなのですが、 この日初めて、わくわくプラザのために作ったと思われる特別の出入り口から 入りました。場所は正面玄関のすぐ隣で、以前は水槽とベンチが置いてある スペースでしたが、たくさんの下駄箱が備え付けてある昇降口に改装してありました。 出入り口前でビラ配りをしてる人(Sさん)がいて、なんとなくもらってしまった そのチラシは「わいわいクラブ入室説明会、わくわくプラザとどこが違うの?」 というものでした。
 ランチルーム入り口廊下に受け付けの机が出してあって、ここで事前に学校から 配られた用紙に名前を書いたものを渡しました。 用紙を持ってない人はその場で名前を記入するように指示されていたようで、 紙に数名の記入がありました。資料(わくわくプラザ利用のしおり、川崎市青少年 プラン抜粋、わくわくプラザ申込書、参加カード、新作小わくわくだより10月号、 説明会に対する意見・要望用紙)をもらって中に入ると、室内にはもう結構な人数が 集まっていました。 およそ100人くらいでしょうか。小さい子ども連れの人もいました。
 時間通りに説明会は始まり、最初司会の挨拶、次いで校長先生の挨拶でした。 この地域は子どもたちが自由に遊べる場所が少ない中、学校施設を利用した事業で 子どもたちがよりいきいきと過ごせるよう、是非学校を活用していただきたいという ようなお話でした。次にPTA会長の挨拶、PTA会長はわくわくについてはよく知らないので、 ここで一緒に教えてもらおうと思ってます、とのことでした。 校長先生とPTA会長は説明会の最後までいらっしゃいました。
 はじめに青少年プランの大枠の説明、青少年プランの一環としてのわくわくプラザで あるという解説がありました。それから15分程度のビデオでモデル校のわくわくプラザ の様子が流されました。わくわくプラザオープニングイベントや工作教室などの状況が 写されていました。そしてわくわくプラザ利用のしおりなどの資料を使っての細かい 説明がなされました。
 末長小の場合、プラザ室にはこの説明会の会場となったランチルームと二階の夏の間を あてるということで、広さにしておよそ4教室分になるそうです。 ロッカーは既に設置済みで、ランチルームの窓側にずらっと並んでいました。 人員配置は明言はされませんでしたが、標準の4人よりは多くなるとのことでした。 夏の間は絨毯敷きのスペースで、今までも寝転がって本を読むこともできるところでしたから、 わくわくの部屋としては丁度いいと思います。 ランチルームには台所もあり、可愛らしい手洗いもあるのでいろいろなことができると思います。 PTAで使うことが多かったのですが、これからは時々は共用になるということで、 お母さんやお父さんがPTAの仕事をしてるのを子どもがわくわくで遊びながら見守る、 ということもあるのでしょうか。
 市側の説明が8時ちょっと過ぎくらいまであって、その後質疑応答になりました。 司会より、質問のある方は学年と名前を言ってからお願いします、何個か質問を受けて まとめて答えるという形にします、との指示がありました。 で、待ってましたとばかりに手を挙げたのが先ほどビラ配りをしていたSさん。 いきなり「今の子どもたちは対人関係が弱い」から始まって説明にはなかった人員配置や スタッフが週四日勤務だのなんだのと小演説。 後ろの方で拍手が一回だけ(多分この質問者の応援の人、周りの雰囲気に気後れして 一回しか出来なかった、みたい)。
 マイクを受け取るときに司会から「ずいぶんとお詳しいようですが」と皮肉。 後は「費用を負担してでも時間延長の可能性はあるんでしょうか」 「長時間利用の時の疲れないような配慮は」「懇談会は」といった質問が出ました。 一つ一つ丁寧に答えておりました。 多分もう散々言われているんだろうという内容です(ファイターズFAQにもあるのでどうぞ)。 保護者会はモデル校でやっているが父兄の参加率が非常に低い、という回答には そうだろうと思いました。 学童の懇談会も参加率は低いし、あまり意義を感じないと言う声が多かったので、 毎月お便りが出るならそれでいいと思います。 個人的なことは個人的に聞いた方がいいし。この辺は団体さんの要望と実際の要望が 全く食い違っているところなので。
 後半、質問の内容が「土曜日に怪我をしたら責任はどこでとるのか」 「何故保健室は使えないのか」「生活保障はしないのか」といった詰問調の質問が でましたが、ビラ配りしていたSさん以外はどうやら部外者らしく、 「何年の何某」という部分を濁していました・・「年長の親です」とか言って。 市側の答えは、保健室は薬品も置いてあるし他人が無断で立ち入っていい場所ではない、 もちろん保健室の先生の協力が得られる場合は協力してもらうこともある、 事業の責任は川崎市にある、個々のわくわくにはそれぞれ責任者がいる、 といった感じでした。
 怪我をしたらその責任をとれ、みたいな言い方には聞いていて非常に違和感がありました。 子どもなんていつだって怪我くらいするのに。 最終的には事故で死んでしまうようなリスクも背負って親をやっているつもりの 私にとって、何から何まで誰かのせいにしないと気が済まない人たちの無責任さには あきれるしかないです。
 それでも8時25分頃には質問は無いですか?と司会が聞いても何も出ない状況に なりました。全部の質問に答えた後、質問が全ていわゆる学童関係者からのものだった せいか市側から二つほど補足説明がありました。
  ○わくわくプラザは全ての子どもたちが利用できる事業です、親が働いていないと 肩身が狭いという質問が寄せられるのですが、そんなことはない。
  ○さっきから「学童」という単語が何度も出ましたが、誤解しないで頂きたいのですが 川崎市では「学童保育」という言葉は使っていません、留守家庭児事業と呼んでいます。 これは乳幼児に必要な「保育」とは違って、小学生以上に必要なのは「自立支援」という 考え方によるものです。もちろん小学校に入ったその日からいきなり自立などできない わけですが、考え方としてそういうことです。
 全てが終わったのが8時30分を5分ほど過ぎて、ほぼ時間通り、大過なく終わったと 言っていいでしょう。PTAの広報委員がずっと録音や撮影をやっていましたが、 どんな記事になることやら。
 さて、説明会後、末長こ文の保護者と話をしたのですが、やはり一人で気を吐いていた Sさんとその応援に来ていた部外者のことが話題になりました。 「あの人誰?」「委託の学童の人らしい。わくわく反対派なんだよ」「そうか・・それでね」 末長こ文の保護者は基本的にわくわくを利用するという前提で話を聞きに来たし 質問もしたわけです。 けれどSさんとその応援団は、チラシを見ても既に「わくわくはダメだから利用しない」 という結論が出てるようです。 それなのに説明会にわざわざ来て、声を荒げてどうしたかったのでしょう? 校長先生やPTA役員の前で詰問調の質問を繰り返して、「人間関係能力が学童で育まれる」 とか言っても全然説得力ないのですが。末長小説明会ではSさんたちのような 「荒らし目的で来た」人の割合が少なくて、結局平穏な説明会で終わったのですが、 一般の父母に「学童の人たちって関わり合いになりたくないわ」と思われなかったか どうかは少し心配です。 多分始まってしまえば、騒いでいたのは部外者だし大丈夫だとは思うのですが。
 後で説明会には出ていない主婦の方と話をしたら、「大人がついていてくれるなんて 安心だわ」という意見でした。 普段から大人の目の届きにくい公園やストリートを遊び場にせざるを得ない主婦家庭の 普通の子どもにとって、学校で大人の目の届く範囲で遊べるわくわくは「安心」なものなのでしょう。結局「安心」なんて気持の持ちようですから。

2002年2月
 来年度父母会役員選出の季節がやってきました。もしかして最後になるかもしれない 父母会ですが、特にスペシャルイベントを考える必要もないだろうということで例年 通りに内定。
 1月に来年度の入室選考があったのですが、驚くべきことに申請者が丁度40名という ことで待機はゼロでした。理由は来年度の2・3年生で申請しなかった人が多かったこ とで、新作小から来ていた2人をはじめ(個人的には予想通り)計8名がこの3月で学 童を退室することになりました。結局来年度の学童は1年生20名程度、2年生12-3名、 3年生7-8名という構成になりそうで(学年については想像ですが)、今年度と同じよ うな感じです。これは必要度から考えると順当だと思うわけで、最後の年度にやっと 正常化した、という感想を持ちました。今年は誰も泣かせずに済んだと思うとほっと します。
 今年の学童の様子で特徴的なのは、1年生から一人帰りが多いこと、3年生などで塾や お稽古ごとを理由に来ない日の多い子が珍しくないこと、熱があったり体調が悪い子 が無理をしないで帰宅するようになったこと、のようです。昨年までは学童で熱を出 して指導員から親に連絡して迎えに来てもらうことが珍しくなかったのに今年は「学 校には行くけれどまだ体力が回復してないので学童は休みます」という連絡が多いこ とを指導員は歓迎していました。行事の参加率が減ったり全員参加を前提にした当番 の順番決めに困ったりはしているようですが。こういう現象は「学童のわくわく化」 と言っていいのか、親も学童に全部お任せ、学童には行かなければならない、という ようなある種の固定観念から解放された結果だろうと思います。思わぬところで某父 母会団体脱退の影響が出た、というように思います。

2001年12月
1月に来年度の学童入室申請の受付があるのですが、学童在室者には前もって申請書 類が配布され、一般申し込みの始まる前に館長が書類を集めます。これは学童の「在 室者優先」というどう考えても不公平な運用のせいです。毎年待機児を多く出してい る末長でも、数年前の父母会は某父母会団体と一緒になって一年生の優先入室に反対 したようです。例えば父母懇談会での指導員の言葉遣い・・子どもが何かをしたこと を「なさって」と敬語で言う、日頃は名前呼び捨てなのに・・などに父母と行政側の 深い対立の爪痕を感じるので敢えていまさら問題提起をするつもりはないけれど、こ の狭い世界で閉じた馴れ合い体質はどうも肌に合わないと感じています。

2001年10月
あまり盛り上がりませんでしたが川崎市長選がありました。父母会長宛に某父母会団 体より某候補への投票依頼文書が届きました。○○氏は学童保育の存続を訴えていま す、△△氏はわくわくに統合する方針だからダメ、□□氏もダメ、▲▲氏もダメとい う内容でした。もともと末長こ文の父母会はわくわくプラザ事業の早期実現を期待す るという方針で某父母会団体と意見を異にするので脱退したわけで、この手紙の趣旨 は全く的外れなのですが。もしもまだ某父母会団体に加盟していたら、選挙運動にま で動員されていたこと間違いなしで、脱退していてよかったと父母会幹事が改めて認 識した出来事でした。もちろん選挙で誰に投票するかは個人の考えによるもので、父 母会として特定候補を推薦するなどということはしない、と会長が明言しておしまい でした。結果的に新市長は阿部氏に決定。

2001年9月
 台風があり、末長小が休校になりました。天気予報より進行スピードが遅く、予想の 難しい台風だったため、新作小・末長小・久末小で対応がばらばらになり、学童の指 導員の方にも連絡が行くのが遅れて、休校時には午前8時半開室の決まりですがそれ ができなかったそうです。台風が最接近していた時間帯がちょうど午前中だったた め、休校にならなかった学校でも早めに授業を切り上げ、保護者にお迎え要請があっ たり先生が付き添って集団下校したりで大変だったようです。台風の時どうするか、 というのはあまり考えていなかったのですが、結局家にいた子どもが多かったようで す。子どもの足で通学するだけに、親が送り迎えする保育園とはまた違った対応を考 えておくべきなのでしょう。学童に登室はしたものの、服がびしょぬれで着替えが足 りなかったということもあったようです。
 学校では夏休み前の校内パトロールとは違う形ですが、全父兄による校外パトロール を実施することに決めたようです。週三日子どもの下校時間前後の1時間を地域ごと に巡回するというものですが、全員に割り振って子ども一人につき年に2回順番が 回ってくる計算です。これは正直言って仕事がある人間には辛いです・・が、PTAの 中では近くに祖父母のいない両親フルタイム勤務家庭は極めて少数派なため、大きな 声でやめろとも主張できず。

2001年夏休み
 夏休み期間中に末長小学校のプールに入らせてもらうために、一回4人の監視を父母 から出さないといけないのですが、これがなかなか決まりませんでした。もともと親 は働いているわけなので、わざわざ休みを取ってプール監視をするのは難しい部分が あるのですが、なんとかやってもらえる人を捜しました。いろいろな行事のたびに手 伝ってくれる人が偏ってしまう傾向にあるのは気になるところです。父母懇談会でも いわゆる問題のある子ども(指導員の指導しにくい子ども)のことについて話が出て も、そういう子の保護者はそもそも懇談会にも出てこない場合が多く、何の解決にも ならない話合いをしていると感じることが多いです。
 指導員からかつて橘小ホールで公文式のドリルをやるので時間を計ってほしいという 保護者からの要望があったがそれはできないという話がありました。普段学童では宿 題をやったりなどの勉強する時間はないのですが、長期休暇の時は午前中の30分から 40分は勉強する時間になっています。ただやらない子は他の子の邪魔ばかりしている とのことです。

2001年6月
6月に池田小学校で児童殺傷事件が起き、川崎市はPTAによる校内パトロールの実施を 決定、夏休み前までの期間で各校あたり10万円を配布しました。一日あたり4人でパ トロールを行い、一人あたり800円の謝礼をもらう、という計算です。末長小では最 初の一ー二週間をPTA五役が、残りの期間をPTA役員全員に割り振るという形でパト ロールを実施しました。当然ながら仕事を持っている人たちには大変な負担で、当初 からこういうパトロールは続けられないという意見が圧倒的でした。結果的に夏休み 前までの期間限定で終わったのですが、子どもたちの安全確保に関して大きな問題を なげかけた事件でした。この件では全ての子どもたちが対象ですから特に学童で特別 な動きはありませんでした。

2001年5月
 某父母会団体脱退後、月一回行われる父母懇談会の後の父母会が行事の実行委員から の連絡だけで済むようになり、夜遅くまでかからないようになりました。父母懇談会 は夜7時から始まり(集まりが悪くて大抵時間通りには始まらない)8時位まで指導員 の話を聞いたり父母と話し合ったりし、そのあと引き続き父母会になります。昨年ま でこの父母会のメニューに必ず対行政運動の説明や動員要請、署名のお願い、などが あり、9時前に終わることが珍しかったのですが、今年度は8時半には大抵終わること ができるようになりました。毎月配られていたビラの類もなくなりました。おかげで 父母会長の負担は激減、父母会自体の重圧感もなくなりました。
 子どもたちの様子は指導員からの話を聞く限りでは落ち着かないというか元気という か。1年生の数が多いせいもあるのでしょうが、集団行動を規律正しく一斉にやると いうのは不可能な状況らしく、おやつの時、掃除の時などルールを守らせるのに苦労 している様子が伺われます。子どもたちにも学校でちゃんと先生の言うことを聞いて おとなしくしているだけで精一杯で放課後まできちんとできない、という部分もある のかもしれません。
 子どもたちの間ではこの頃ベイブレードが大流行で、盗られた・なくなったという事 件も起こっていたようです。学童にはおもちゃの持ち込みは禁止なのですが、子文に 遊びに来た子が持ってきたものが学童の子どものかばんに入っていたという事件が あったようです。子文では自分の持ち物の管理は自分ですること、というきまりに なっているだけで、持ち込みそのものは禁止ではありません。カードゲーム用のカー ドも同様で、友達と遊びたいからという理由で学童をお休みにして子文に一般来館で 来る子も珍しくはないようです。

2001年4月
 新1年生19人を迎えて新年度がスタート。
 今までこ文の建物の脇のちょっと広い通路が子どもたちの遊び場になっていたのです が、一階の「くさぶえの家」から品物の運搬に使う車に傷をつけられると困るという 苦情が来たそうで、これからは「階段の下には行ってはいけない」というルールが新 たにできたそうです。冬の間コマ回しが流行っていて、ちょうどそのあたりでコマを ぶつけ合って遊んでいたのが気になったのかもしれませんが、そんなにきれいでもな い商用バンに少しくらい傷がついても・・・と思うのは車に対する思い入れの全くな い人間だからかもしれません。とにかくこれを含めて禁止事項は結構あって、ボール 遊びはドッジボール以外は基本的にできないし、男の子たちにとってはちょっとエネ ルギーの発散の場所がないような感じです。子どもの話によれば、上級生がいなくなっ たら今までおとなしかった新3年生の男の子までが乱暴でうるさくなった、とのこと で指導員からも3年生はくちごたえが多くて全然いうことをきかないといった感想が 聞かれました。いつの時代も子どもたちはそういう力関係の変化には敏感です。ある 意味、たくましいのでしょう。
 新1年生にはまだ学童までの道がおぼつかなく、泣いて他の人に連れてきてもらった りしていることがあるとのこと。 最初の父母会は総会で、昨年度の活動報告と新年度の活動案が審議されました。懸案 事項だったのは某父母会団体の加盟の是非と行事の削減ですが、父母会行事の削減に ついては「参加できないことを後ろめたく思う必要はないし、やれるひとがやりましょ う」とのことで昨年度と同じになりました。「やれる人がやろう」とは言っても強制 的に係りを割り振るやりかたに変わりはなくて、結局辛い人には辛いまま・・。ある 程度機械的に係りを決めないと何もできないというのは別に父母会に限ったことでは なくて、職場でも地域でも状況は似たようなもの。この辺がまだこの国の大人が成熟 しきれていない部分かなと思います。
 さて某父母会団体の加盟問題は、保育園で団体の「勉強会」なるもので聞いた話と全 然違って戸惑ったという1年生父兄数名から質問が出されたものの、結果的にはほぼ 全員の一致で脱退を可決。比較的スムーズに議事は進行し、予定時間より早く終わっ たくらいです。新作小からの入室者は2名。うち一人から新作わくわくは評判がいい、 などという話は某父母会団体からは聞いてない、学童での生活を楽しみにしていると のことでした。連協担当役員から4月のブロック会議で神奈川県連協の財政難による 費用負担の増加が提案されたこと(県連協の話なんて初めて聞いた)、橘小ホールで は昨年度は署名運動を頑張りすぎて息切れしてるらしいこと、本年度は待機の一番多 い末長こ文で学童の新設運動をやって欲しいと言われたことなどの報告がありました。
 待機が多いのは知ってはいましたが、それでも10人台ですから新設運動をやろうなど という意見は父母の間から一度も出されたことはなく、なるほどこういうふうに上か ら要求されて「運動」が行われているのだなということが実感としてわかりました。 繰り返される平日の動員や、こういう「運動」の負担が重くなることが予想されたこ ともあってほとんどの父母の意見が一致したのだと思います。これからの課題として はわくわくプラザをよりよいものにしていくにはどうすればよいか、といったことで す。
 学校で配られる区PTA協議会の広報によりますと校長・教頭・PTA役員むけにわくわく プラザの講演が行われたとのことです。高津区では新作小の校長と世田谷の新BOP実 施校の先生がお話をされたそうで、わくわくの実施に向けた準備は着々と進んでいる ようです。

TINY3月10日号:新作小学校「わくわくプラザ」訪問記
TINY3月10日号に新作わくわく訪問記の記事がありましたので、 紹介します。

新作小学校「わくわくプラザ」訪問記
 新作小学校「わくわくプラザ」は体育館の二階にあります。 現在、新作小学校の生徒327人のうち141人が登録をしています。学年別の 登録者は、低学年クラスほど人数が多く中学年、高学年になるほど少なく なるようです。やはり、高学年は勉強が忙しくなるからでしょうか。 1月31日(水)午後、訪問した日の参加者は29人でした。この時期は寒い のと、日暮れが早いのでいつもより少し参加者が少ないようです。
 私達が訪れた日は、とても寒い日でしたが、部屋の中は暖かく集まった子 どもたちは、宿題の作文を書いたり、けん玉を教えてもらったり、あやと りをしたりしていました。プラザでの活動は、事前に親子で帰宅時間を相 談し、参加カードに記入して持参します。 子どもたちは、それぞれの帰宅時間になると、自分で時計を見たりサポー ターさんに教えていただいたりして家に帰ります。暗くなってから帰る子 どもたちは、保護者が迎えに来ることになっています。 スタッフは現在、サポーターの方が12人(内リーダー2人)で、4人の大 学生もサポーターとして参加しています。 一日、5人のサポーターの方々がローテーションで子どもたちの世話をし ています。
 訪問した日は、洗足学園短大児童文化研究クラブの学生5人によるゲーム 遊びをやっていました。歌いながら、体操や猛獣狩り、じゃんけん列車な ど、体をめいっぱい動かして長い列を作ったり、じゃんけんをしたりとて も生き生きと遊んでいました。遊びの仕上げは、子どもたちの要望でかく れんぼ。あっというまに、みんな図書室の机やイスの下にもぐりこんでし まいました。 いつの時代の子どもたちも、ちょっぴり暗い場所と、ワクワク、ドキドキ が大好きなんですね。プラザに集まる子どもたちも、たくさんのワクワク、 ドキドキすることに出会ってほしいと言う思いを強く感じた一日でした。

2001年3月
 3年生にとっては最後の月になりました。3/4日にお別れ会があり、ボーリングをして お昼のお弁当を食べて、というのが例年通り行われました。3/4から卒室までの間に 日にちが開きすぎるとか、橘小ホール(同じこ文の館長が責任者)で場所を使いたい とか多少の検討事項が残りました。
 父母懇談会直前に来年度の学童入室者の発表があり、現在3年生の弟や妹にあたる新1 年生が待機になったということで非常に残念だという声が聞かれました。泣いてしま うお母さんもいて、やりきれない気分です。実は学童の「在室者優先」という方針は 数年前に1年生優先にしようという市の方針に某父母会団体が保育園の父母会団体と 一緒になって反対して「勝ち取った」ものです(この保育園の父母会団体までが反対 するという事態が全く理解できないのですが、そういうことのようです)。末長こ文 でも、当時から待機児の多さは問題だったにも関わらず、「待機児の解消のためには 学童の新設をするように、そして1年生を優先させるなんて反対」という決議文を出 しています。もちろん当時の関係者は今の父母にはいませんが、某父母会団体として は一貫してそういう主張なわけですし、それをずっと支持してきたことになります。 一部の学童では禁止されているらしいという噂も聞きますが、3年生の中には毎週何 曜日は塾に行く、という子もいます。ある父母の話ですと、「2年生くらいになると スイミングクラブなんかにも一人で行けるようになるから行かせてる人もいる」との 話。「学童以外に行ってはいけない」というのもなんだか窮屈な話ではありますが、 小さい子が入れないというのもどうかと思います。もし今の父母会に「1年生の入室 優先」が提示されたら、多分受け入れるだろうと思います。そしてその代わりとし てASCLで過ごしている留守家庭の子達に特別の配慮を要求するだろう、その方が市と してもなんとかしようがあるだろうから。今の末長こ文のASCLでは、1年生が特別に お弁当を食べてもいいことにしてもらってなんとか過ごしている状態です。1年生よ り3年生の方がまだ自由度が高いし、アルバイト一人でもつけてもらえればなんとか やっていけるような気がします。もちろん、今となってはわくわくプラザの早期実現 のほうがはるかに可能性が高いので、今さらの話ではあります。
 また某父母会団体は「一貫して在室することに学童の意義がある」なんて言っている のですが、川崎市北部の住宅街は転勤族の社宅も多い地域で、学校でも転校生は珍し くありません。一クラス年に2-3人がコンスタントに入れ替わり、6年間では半分近く が入れ替わることもあり得るわけで、そういう地域で排他的な小集団を作ることが大 切だ等と主張しても説得力がないと思うのですが。むしろ多様な生き方をしている人 たちと、柔軟につきあえるスキルこそがこれからの時代に必要不可欠だと感じていま す。個人的にはそれを学童でやってくれなどと要求するつもりはなくて、学童にいる からには親が意識的に学童以外の価値観を子どもに伝えないといけないな、と思った のでした。
 3月も某父母会団体の「平日に休みを取って審議を傍聴するように」という要求をは じめとして各種宣伝行動への参加要請がありました。でもわくわくプラザが平成15年 度から全校一斉に実施される見込み、という報告もあり、3年生で卒室した後も含め て「わくわくプラザが末長小学校にできたら利用したい」という人が過半数であるこ となどもあって、来期の検討事項として某父母会団体からの脱退が話題になりました。 わくわくプラザがいいものになるよう努力したいと思っても、現在の某父母会団体の 方針では全くそれはできず、しかも私たちの声を執行部が聞く姿勢は全く感じられな い、そのわりには金銭的にも物理的にも負担が多すぎるというのが主な理由です。新 年度は1年生が約半数になるため、現時点で結果を予想することはできないという状 況下ではありましたが、脱退支持者が新年度2・3年生のほぼ全員でした(欠席者も少 なくはないため実際はわかりません)。そういうわけで来期役員の人選は某父母会団 体の役員を除いたかたちで一応の決着をみました。

2001年2月
 久々の父母会開催。
 来年度の学童の入室受付終了の挨拶が館長からあり、来年度も10名程度の待機が予想 されるとのお話。末長こ文では今年度で卒室の3年生が16名で、ここ数年の中では最 も入りやすい環境なのに相変わらず「市内で最も待機の多い施設」ということ。今年 度在室の子に関しては、来年度の入室は確定ということです。
 2月に父母会開催前に某父母会団体の「学童保育の存続を求める署名」が、市民委員 会で審議されるということで平日の昼間、休みを取って出るようにとの依頼があった が、会長の判断で緊急連絡網を回すという要請は却下したとのこと。多分誰も出られ ない、というのは事実で、その他の「街頭署名」や「宣伝行動」にも誰も参加者はい ない様子でした。某父母会団体の高津区ブロックの会議では「わくわくプラザをわく わくして待ちたい」という意見も出されたこと、某父母会団体の活動を快く思わない 館長や指導員などと運動を巡っていざこざが絶えない様子などが報告されました。末 長こ文では特にポケットにチラシを入れてはいけないなどとは言われていませんが、
 ビラの量やその内容を見れば嫌がられても仕方ないと思います。 学童では節分の豆まきをやったのですが、炒り大豆を一つ二つ小さく切った折り紙に 包んでまいたようです。全然拾えない子もいたけれど、放っておくと誰も自分の分を 分けてあげようとは言わず、指導員の指導でようやく分けてあげたとのこと。子ども だからそんなものだろうとは思うけれど、「昼間のきょうだい」という言葉から優し さやいたわりのみをイメージしている人がいるとしたらそれは「子ども集団」をわかっ ていないだけでしょう。
 最大の課題は来年度の役員選びで、現在の1年生の父母の中から選べとのことで、結 局決まらず、来月に持ち越し。現在の1年生は春の段階で入室者10名、うち双子がい るので父母としては9組、待機が17?名だったという激戦(?)の中から入室した人 たちで、当然余裕のない状況の人が多いわけです。それに父母会主催の行事などで は1年生がやるもの、という理由で実行委員長を押しつけられたという不満がたまっ ていました。父母会の意味そのものが疑問だという意見もあって、役員が簡単に決ま らないのは当然かもしれません。

2001年1月
1月は学童の行事は懇談会も含めてありません。数年前まではお正月の餅つきがあっ たという話ですが。学童の来年度の入室申請書類の提出がありました。 1月に1年生の転校による退室があり、代わりに待機だった1年生が入室。

2000年12月
新作わくわくプラザに行っていた子が11月末で正式に学童を退室しました。やはり学 校内にあってクラスの友達とも遊べること、ボランティアの学生さんが来てくれて遊 んでくれたりすること、など利点もあってこれでいけるという判断のようです。新作 小のわくわくプラザのスタッフには元学童の指導員の方や末長小で「あそびのひろば」 という事業があるのですがそのスタッフだった方もいてそれなりに充実してるようで す。(「あそびのひろば」は学校がお休みの土曜日に校庭や体育館でこどもたちを遊 ばせてくれる事業で、月1回くらいのペースでやっています。)学童にはもう一人、 新作小の三年生が通っているのですが、この子は卒室までもうすぐなので学童に残る そうです。

クリスマスのお楽しみ会が指導員も参加して土曜日の夜にこ文でありました。三年生 がキャンドルをもって入場したり、フォークダンスをやったりします。父兄が変装し たサンタさんも登場しました。

12月は某父母団体の署名や宣伝行動もたくさん入っているのですが、積極的に参加し たい、という父母は一人もいませんでした。某父母団体にとっては「危機感 が伝わっていない」らしいのですが、父母の現実感覚としては名前が「わくわくプラ ザ」であろうが「学童保育」であろうが、子どもにとってそれなりに居場所があるの であればそれでいい、といったところでしょうか。実際待機の多い地域で、わくわく プラザができれば嬉しい人がいるわけですから、わくわくプラザが全ての学校にでき て、それがいいものであれば今より全体的な状況はよくなることが期待できるので。 もちろんあくまで可能性ですが、新しく学童保育施設ができて待機がなくなる可能性 よりは高いと思われます。

指導員から聞いた話ですが、学童の男の子たちが鬼ごっこをしているところへ一般来 館の子が「入れて」と言ってきたのだけれどなかなかいれてあげない、大人に言われ てようやく入れてあげたのだけれどそうしたら今度はみんなでその子ばかり集中的に 狙うのでとうとう泣いてしまった、と。別に示し合わせてるわけではないのになんと なく仲間意識があってそうなってしまうことがあるそうで、後で「ごめんなさい」と 謝りに行ってくれた子がいるのが救いだ、とのことでした。無意識のうちに閉鎖的に なってしまう、いじめのようになってしまう、というのは多分人間の本質で、それを うまく解消するには小さい頃からいろんな集団に属する訓練があったほうがいいのか な、と思いました。

他にも芋掘りなどの行事の時に準備するものを(親が忘れていて)3年間持ってこら れなかった子がいたとか、子どもが悪さをしたので親にも報告したところ、「うちの 子だけじゃないでしょ」と反論されたとかいう話を指導員から聞きます。前にいた保 育園では考えられなかったことで、これが普通なのかどうか、よくわかりません。 学校の父母懇談会で、子どもが誰かに消しゴムをぼろぼろにされたという話が出て、 「学童でやられたんじゃないの?」と言ったお母さんがいて、ただ可能性の一つとし て言っただけかもしれないのですが、クラスより学童の方が良くも悪くも統制がとれ てないのは事実なので、もしかして普通の専業主婦家庭には学童の子のイメージは悪 いのかな、などと思ってしまいました。

わくわくプラザに期待できるのは一番はやはり学校の広い校庭を使ってダイナミック な遊びができることでしょう。末長小学校はまだ改築されて間もないので校舎もきれ いですし、じゅうたん敷きのオープンスペース(床暖房つきらしい)もあって、そう いう場所が使えるならいいなあ、と思います。学校は「地域の人たちと協力して」こ どもたちを育てていきましょうというメッセージを発信しているので、父母や市民局 担当者などの思いがうまくかみ合えば子どもたちにとってベストだろうと思います。 こ文の魅力は漫画本や雑誌もあることでしょうか。もちろんいいひとが来てくれるの が一番で、わくわくプラザの実施が早い方が良い人材を確保できたりするのかななど と思ったり。

2000年11月
末長こ文では施設合同祭りといって、くさぶえの家とこ文とが一緒になってお祭りを やります。ゲームや屋台で食べ物売ったりしますが、学童父母会でも出店します。例 年じゃがバターをやってるとのことで、今年もそうでした。一個50円で200個くらい の売り上げでした。他のお店もポップコーン50円とかいうお値段で、お天気も良くた くさんの子どもたちがやってきて盛況でした。

2000年9月
退室者の後に待機だった一年生が入室しました。4月からずっとASCLで来ていたので すぐになじんで違和感はないとのこと。この子のお母さんは、祖父母が近くにいるの でなんとか今までやってこれた、でも自宅マンション踊り場で中高生がシンナー吸っ てることがあったりしてとても心配で学童に入れてほっとしてる、と言ってました。 末長こ文は2000年度の待機が川崎市内で一番多かったのですが、現実には「本当にど うしようもなく困っている人」はいないのだなと思いました。ちなみに申請用紙にあ る「祖父母が近くにいる」の「近く」というのは「大体子どもの足で歩いて30分以内」 くらいだそうです。

9月から新作小でモデルケースとしてわくわくプラザが始まりました。末長こ文に在 籍している二年生が一人、わくわくに行き始めました。とりあえず学童には在籍した まま様子を見て、ダメだったら戻ってきていいと言われたそうです。新作小は比較的 小規模の学校で、そのお母さんの話では共働きの家庭は本当に少ない、とのことでし た。場所が駅から遠いのと坂道の多い山の中で通勤に不便なのでそういう結果になっ てるのかもしれません。

某父母団体が「統合反対運動」をいろいろやってますが、「わくわくプラザの情報を 集めています、敵の正体を知りましょう」といった呼びかけには違和感の方が強いで す。市民局に電話して業務妨害を勧めるようなこととか、まともな対話を望んでいる 組織とは思えません。父母会の中にもそれほど「頑張って反対しよう」という雰囲気 は感じられず、某父母団体執行部の意見と現場の父母の思いとの乖離を感じます。か といって他にどうしようという意見があるわけでもなく、淡々と事務連絡をしている といった感じです。

2000年8月
夏休みを前に三年生が一人学童をやめました。友達と自由に遊びたかったというのが 理由のようです。遊戯王カードゲームは大変なブームで、こ文でも男の子達があっち でもこっちでもやってる、という状態です。トラブルももちろんあって、なくなった とか小さい子が大きい子に訳も分からずレアカードを取られたりということがあるよ うです。たくさん買ってる子は金額も大きいようで、お金の問題もあります。ただこ 文の館長はこ文でカードゲームを禁止してもどこか別のところでやるだけだから、ど うせやるならある程度大人の目に付くこ文でやってくれた方がまだいい、ということ で禁止はしない方針とのことです。ところが学童の子については触るのも禁止、見て るだけ、ということでカードゲームが大好きな子には辛いのでしょう。三年生くらい になると遊びの範囲も広がるし、個人の好みもはっきりしてくるので状況によっては 学童以外の選択肢も用意してあげた方がいいだろうとは思います。

夏休み、指導員にとってはいちばんきつい時期です、親が家にいるときは子どもは学 童に来ないようにという連絡があったようです。学校の先生をしている親は保育園の 時は預かってもらえたのに、と言っていました。 夏休みの一日は午前中に勉強の時間が一時間弱、午後昼寝の時間があるのですが、ど ちらも騒ぐ子がいてうるさくて困る、と子どもが言ってました。子どもは殴られて鼻 血出してたこと二回、荒れてるなあと思いつつ、頑張ってくれと願うばかりです。夏 休みに入ってすぐ、相性の悪い子と同じ班になって隣で何度も蹴られたので学童行き たくない、と子どもが訴えたため、指導員にお話しして席を替えてもらうということ がありました。指導員には、「殴った子はいつも意味もなく乱暴で、注意しても全然 反省しない、だから強くなって欲しい」と言われてしまいました。それでとうとう子 どもに「やられたらやり返せ」と言ってしまいました。強くないといけない、のは別 に学童だけの話ではないとはいえ、まだ幼い子どもには言いたくなかった言葉です。 プールは期間中二回ほど、父母の監視協力のもとで末長小のプールに行きました。 夏休みには子供会のラジオ体操が朝6:00からあったのですが、結局一度も参加できま せんでした。学童に行くだけで精一杯で朝起きられませんでした・・。

2000年7月
橘中学校区地域教育会議拡大地区懇談会(末長、橘、新作小PTA関係者からなる)で 新作小PTAから子どもたちの遊び場を考えるうえで「わくわくプラザモデル校として 大変いいという意見も出されました。」との報告。PTAとしてはわくわくプラザを歓 迎している様子です。 また一番大きい指導員組合のチラシが入っていて、「もっとたくさんの子どもたちと 遊びたい」とあり、わくわくプラザに対して肯定的なことが伺われました。 学童のキャンプは一泊二日で指導員は参加せず、できるだけ負担にならないようにと 宿泊施設完備、バーベキューセットも揃ってるキャンプ村で行いました。あんまり手 間暇かけて苦労して・・というのは評判が良くないようです。「自然を楽しむ」とい うより集団での旅行に近い感じでしょうか。参加率は7割ほど。

夏になると窓を開けていることが多いせいか、子どもの泣き声や大人の叱る声が妙に 気になります。子どもの虐待に関するニュースが多くて敏感になってるせいかもしれ ません。ある夜あまりにも長時間子どもの泣く声が聞こえるので、ベランダに出てど の家か探してみたら、向かいのアパートのかなりたくさんの人が同じように窓から覗 いているのが見えました。結局誰かが子どもを怒鳴り続けていた親を制止しにいって 泣き止んだようです。ある程度の大人が気にしてる、というのは微かではあるけれど 救いです。うちのマンションでも朝揃って学校へ行く子どもたちを見送る時に、「○ 号室の○○さんとこ、昨夜ひどく子どもを叱っていたみたいね」「今が一番手がかか る時期だから、そのうちおさまると思うけど」といった会話が交わされることもあり、 住民が他人のことに全く無関心な地域というわけでもないようです。地元商店街が元 気な街ですし、まだ「地域の力」に期待できる部分もあります。

2000年4月
末長こ文は末長小学校の門を出てすぐのところにあり、一階は自閉症児の施設「くさ ぶえの家」、二階がこ文になっていてその一室に学童の部屋があります。指導員は専 任の方は二名、あとはアルバイトの方が数名いらっしゃってますが、全員女性です。

学童の定員は40名ですが、待機児の多い地区でもあり、99年度は44名在室、2000年度 は40名でスタートしています。学校はほとんどが末長小学校ですが、新作小と久末小 の子どもも通ってきています。こ文でやっているASCLにも登録児童は多く、イベント のない時はASCLの子も学童の子も一緒になって遊んでいることが多いです。学童に もASCLにも学校の特殊学級の子も来ています。学童は5:30までですが、こ文の館長先 生と職員の方は6時までいらっしゃることが多く、学童の部屋が閉まったあとはこ文 で過ごさせてもらっています。もっとも5:30前に迎えに行っても既にクラブ室にはい ないことが多く、「5:30閉室」というのは「5:30には指導員は帰る」ということのよ うです。一年生の一学期以外は一人帰りもOKのようだし、習い事などでお休みするの も連絡さえきちんとしていればOKです。なので毎日全員がそろう、というわけではな いようです。

ASCLの子は「学童の子はおやつがあっていいな」と言っていましたが、 学童の子はASCLの子が参加できる「キーホルダー作り」などのイベントには参加でき ない(もちろん学童で別に工作をやる)のが残念、とか、一般来館で遊んでる子ども たちがカードゲームをやっていても学童の子は触ってはいけない決まりなので遊びた い、とかいろいろあります。でも基本的には子どもたちはいろんな子と遊んでるよう です。学童でのはお誕生日会、お店やさんごっこ(おやつを紙のお金で決められた金 額だけ買う)、紙粘土やプラバン工作、けん玉検定にドッジボール大会、枝豆取りや 芋堀などの行事があり、月に一度はこ文で映画も見てます。

ほぼ月に一度父母懇談会 があって子どもたちの様子を聞くことができるのですが、男の子達はエネルギーが余っ てるのか指導員の指示に従わないことが多いようです。子どもたちは学校のクラスの お友達は「さん」付けで呼ぶように指導されているのですが、学童の友達は呼び捨て だったりあだ名だったりします。教材費とおやつ代が月2000円、父母会費がキャンプ の積み立て1600円を含めて月2000円です。年度始めに傷害保険の加入と某父母団体分 担金で数千円の負担があります。

某父母団体に加盟していますが、1999年秋から始まった 「統合反対運動」については、青少年 プランに学童の統合がはっきり打ち出されて、「あんなに頑張ったのに結局何も変わ らなかったね」というような感じでした。4月からの運動方針は「わくわくプラザで はダメなんだということを立証すること」。わくわくプラザをよくしようという方向 の運動もしたいという父母の意見は執行部に否定されたと伝えられました。

地元子供会にも入っています。1年生から6年生までで、加入は任意ですがほとんどの 子どもが加入しています。毎月公園掃除をしたり夏休みのラジオ体操やクリスマス会 のようなイベントもあり、参加すると景品やお菓子がもらえたりします。ただ賃貸マ ンションなどでは声がかからなかったり、役員になると面倒だからと加入を断られた りすることもあるようです。担当の役員さんの話では、昔は全員加入があたりまえだっ たけど最近は強制はしないので付き合いのない家庭は本当にどこにも出てこないとの こと。



ホームに戻る
わくわく基礎知識へ