ファイターズメンバーが推薦する育児、福祉、教育関連のブックガイドです。
- 上野千鶴子著「サヨナラ、学校化社会」
- 苅谷剛彦著「教育改革の幻想」
- 太田肇著「囲い込み症候群」
- エスピン−アンデルセン著「ポスト工業経済の社会的基礎」
- 小室豊允著「実践的保育所経営論」
- 猪瀬直樹著「小論文の書き方」より・・・
長時間保育を可能にした品川区の行政、共産党は働く女性の味方ではない
- 久田恵著「ニッポン貧困最前線〜ケースワーカーと呼ばれる人たち」
- 武田龍夫著「福祉国家の闘い」
- スペンサー・ジョンソン著「チーズはどこへ消えた?」
- 向山洋一著「学校の失敗−誰が子供を救うのか−」
- 佐々木宏子著「絵本の心理学−子どもの心を理解するために−」
- 岸本裕史著「すべてのこどもに確かな学力を 小○年篇」
- 同「幼児期に学力の土台を」
- 中野民夫著「ワ−クショップ 新しい学びと創造の場」
上野千鶴子著「サヨナラ、学校化社会」 (太郎次郎社)
学校というシステムでは勝者も敗者も幸せにならない、というお話。
いくつか引用します。
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「おばあちゃんが子供を甘やかして困ります。」という子育て相談に対する回答者の
「大人同士よく相談して同じしつけをしましょう」という回答をきいて、
(p.56)
私は「そんな馬鹿な」と虫酸が走ります。
子供というものは、自分の生存戦略を学んでいくものです。
こちらが具合が悪ければ、あちらに逃げ道があると思っておばあちゃんのところに行くのです。
<中略>
ところがそれを八方ふさがりにして子どもの退路を断つことを大人がよってたかってやっている。
自分と違うことを言う大人が子どもの周りにいてやった方がいいとは、大人は思わなくなってきている。
いま流行の学校と家庭と地域の「連携」などということも、私にはそのように映ります。
たしかに退路ふさぎになっては、まずいよねぇ。
むしろ、連携することで逃げ道作りになればいいと思う。
そして、上野は「小さな学校でたくさん」という。
(p.98)
学校はこのさい、授業という本分にみずからを徹底的にダウンサイジングするべきではないでしょうか。
学校が分不相応に学校的価値を塀の外にまで垂れ流すべきではありません。
知育・徳育・体育などといいますが、徳育も体育も、生活指導も心の教育も、
ましてや全人教育もそんなものはやらなくていいから、ほんとうの知育だけをやればいいのです。
(p.116)
学校的価値を分相応に学校空間に閉じこめて、その価値は多様な価値の
一つにすぎないという異なるメッセージを、制度的に保障していく仕組みを
つくるべきだと思います。
それは多元的な価値を作り出すことです。
学校ではない空間---「共」の空間を生みだすことにつながります。
「共」もしくは「協」の空間とは、パブリックでもプライベートでもなく、
コモンな空間のことをいいます。
子どもたちには、学校でも家庭でもなくコモンの場が必要です。
さて、わくわくプラザはコモンの場になれるか、否か。
苅谷剛彦著「教育改革の幻想」 (ちくま新書)
2002年実施の新学習指導要領実施に関しての論争を理解するための必須の本。これか
ら子どもたちが受ける教育がどうなるのか、親としては知っておきたいところです。
ところで興味深いのは第4章「子ども中心主義教育」の幻想 の項目です。
以下、引用。
「子どもと一緒に考えよう」「子どもとともに学んでいこう」。こういうと、子
どもの目線に立った、望ましい教師像のように見える。また、こうした学習は、教師
による一方的な教え込みの教育に比べ、子どもたち自らが学ぶ、理想の学習のように
も見える。しかし宮澤氏はそれに対し、あえて「近代社会に生きる大人たちの知恵の
ゆきづまり」ゆえの「近代の大人たちが直面した絶望の産物」であるとの判断を下す
のである。こうした宮澤氏の見解が目を向けているのは、「人類が蓄積した知識や方
法論」を軽視しがちになり・・・
つまり私たち大人は、高度で複雑な社会のなかで、環境問題や先端医療のような、こ
れまでの知識では簡単に解決できないような問題に直面して明確な指針を持てず絶望
し、解決の努力をする代わりに、知識や技術に背を向けて子どもたちに幻想を投影す
ることで逃げている、という趣旨のことを言っています。「こどものために」と言い
つつ、実はそれは大人たちの内面の荒廃を誤魔化すためのものである、と。
現実には複雑な問題にはより強靭な知性で立ち向かう以外に方法はなく、「無垢な子
どもが善」「自然が一番」という反知性・反科学的態度は何の解決にもなりません。
大人は子どもに自分が果たせなかった夢や実現不可能な幻想を託すのではなく、現実
に彼らが生きていくのに役に立つ智慧を授ける義務があると思います。
なお、他に同著者の同テーマの本として「大衆教育社会のゆくえ」(中公新書)、
「階層化日本と教育危機」(有信堂高文社)があります。(う)
太田肇著「囲い込み症候群」(ちくま新書)
本書は、戦後民主主義のなかで「市民」「自治」「参加」などの
きれいな衣をまとってしのびよってくる「囲い込み症候群」と呼ばれる
組織病理について述べた本である。
いったん組織に囲い込まれると、気がついたときにはもはや身動きがとれず、
異議を唱えることさえ許されない雰囲気に支配されてしまうのだ。
囲い込み症候群は、個人の自由や権利を脅かし、組織そのものを蝕んでいく。
会社、学校、地域の組織において「社員一丸になって」とか「クラスの一致団結」
など、組織の求心力を高める言葉が語られるが、会社においては社内行事、組合への参加は年々減り、
PTAなどでも行事への参加率の低下、役員決めのトラブルなどが起こっている。
これは保育園父母会の運営にもまったく当てはまる。
ときには「父母の力の結集」というスローガンのもと、父母会組織は父母を囲い込もうとする。
しかし、皮肉なことに組織加入のメリットなどを強調し求心力を高めようとすればするほど、
組織への遠心力が働いているのが現実である。
p120
「町内会にしてもPTAにしても、行事を増やしたり参加を呼びかけるほど最初から
近づこうとしない人が増えてくる。」
および
p126
「PTAの世界でも組織の遠心化が進んでいる。とりわけ各種の会合や行事への出席
が義務付けられている役員は、
できるだけ引き受けたくないというのが多くの保護者の本音である。」
という著者の指摘は保育園父母会においても、まったく当てはまる。
誰も役員を引き受けたがらない組織というのは、いったい何のために存在しているのだろうか。
少なくとも自主的に発生したはずの任意団体においては、まったくおかしな現象である。
さて、遠心力が働くとどうなるか。
p127
「平素から会の活動に積極的な人が役員に選ばれるという傾向がある。
そこで、会員の側も自己防衛を考える。(略)
活動に積極的に参加していると積極的とみられやすいため、かりに興味のある活動で
あっても参加を控えるようになる。(略)
催しに参加しているのは役員ばかりといった奇妙な光景に出くわすことも稀ではない。」
組織の空洞化が進み、不毛な活動と役員の自己満足が残るわけである。
それでは、囲い込み症候群を防ぐにはどうすればいいのだろうか。
遠心力を下げるには、辞めやすくし、気軽に参加できるようにすることが重要である。
p150で著者は以下のように述べている。
「たまたま活動に参加すると、以後は固定的なメンバーに入れられ参加が半ば強制さ
れるようになるため、かりに参加したくても思いとどまっている人が多い。(略)
多くの組織は人を引きつけようとするとき、加入することのメリットばかりを強調する。
しかし、先のエピソードは、むしろ
辞めやすい条件をあらかじめ設定し、参加の心理
的バリアを取り除くことがいかに重要かを示している。」
実際、
p128
「ある小学校のPTAでは、他の学校と同じように行事への参加者が年々少なくなっていた。
そこで会長は各保護者に希望する役と引き受けられる年度を自己申告させ、それを尊重して数年間の役員を予め割り当てるようにした。
参加すると役員に選ばれるのではないかという不安が解消された結果、行事への参加者が急増したという。」
p148
「生協が従来の共同購入のための”班”以外にも”個人加盟”を認めることで参加が増えた。」
といった事例が報告されている。
父母団体にしても、父母会単位の加盟だけでなく
個人加盟をもっと推進した方が、結局は団体のためになると思うのだが。
そして、著者はこれからの組織のあり方を以下のように説く。
p152
「むしろこれからの組織にとって重要なのは、個人が自発的に能力を向上・発揮し、
成果を上げられるように支援することである。(略)
メンバーを囲い込まず支援することに重点を置いた組織を「インフラ型組織」と呼ぶ。(略)
主役はあくまで個人であり、組織は個人が活動するための場にすぎない。(略)
実際にインフラ型に切り替えたことによって、会員の間に自分たちで地域や学校を作っていこう
という当事者意識が芽生えた自治会、PTAは少なくない。」
p158
「PTAでも個々のメンバーが使命を自覚し主体的に行動できるようになれば、
あえて団結や一体感を求めなくても自ずと統合されていくはずである。
そして、当然のことながらその方が個人の自律性も大きくなる。
これらの組織はメンバーに対する強力な強制や制裁の手段をもたないことが多い。」
これはまさにファイターズのことではないか。
すべてメンバーの自主性に任されているけど、だからこそいざというときに力を発揮できるんだな。
今後のファイターズに乞う、ご期待!(た)
エスピン−アンデルセン著「ポスト工業経済の社会的基礎」(桜井書店)
著者は前作「福祉資本主義の3つの世界」で、福祉国家を「社会主義的(北欧諸国)」、
「保守主義的(ヨーロッパ大陸諸国)」、「自由主義的(アングロサクソン諸国)」
と鮮やかな類型化を行いそれぞれの性格を明らかにしたが、
この三類型論はさまざまな議論を巻き起こした。
本書はそれらの批判に応えつつ、これからのポスト工業化時代の福祉のあり方について
新たな提言を行なっている。
社会主義的、保守主義的、自由主義的、どのスタンスに立ったとしても、それだけでは
うまく福祉は機能しない。
社会主義的福祉の限界は近年、明らかになったが、それに代わって自由主義的な
規制緩和や民営化を進めるにしても、それには市場がいかなる邪魔・妨害を受けないという
前提が必要だ。
福祉は国や行政が市民に施してくれるものではない。
福祉の提供者は「労働市場」と「家庭」と「国」であって、それらのバランスをどうとるのか。
これからの福祉を考える上で欠かせない視点である。
(た)
小室豊允著「実践的保育所経営論」(全国社会福祉協議会)
平成10年に児童福祉法が改正され、保育園の利用に関しても従来の措置制度から契約方式へ変更となった。
(といっても現実には、なぜか今でも自治体が保育園への入園を選別しているが。。)
措置でなくなるということは、これからは保育園としても利用者サイドに立った運営、
すなわち経営マネジメントが必要になってくるということである。
改正児童福祉法後の保育園像をつかむ上で大変参考になった。
“福祉とは、社会的弱者を救済するというものではなく、所得に関係なく利用できる社会サービスを
提供するということである。「保育に欠ける」児童に限るのではく、「保育を必要とする」児童にも
サービスを提供するということである。”
という著者の主張にしても、父母の一人として納得のいくものであった。
また、待機児解消をはじめとする保育運動をすすめる上でも、次の著者の言葉は、
しっかりと胸に刻んでおく必要があろう。
“「防衛費を削減して福祉にまわす」 こういう議論は防衛派と福祉派の対立は
生んでも、できるだけ負担を少なくしながら国民の間に公平に妥当な給付を
いかにして行なうかというような政策を科学化する理論は生まれない。”
(た)
猪瀬直樹著「小論文の書き方」(文春新書)より・・・
長時間保育を可能にした品川区の行政(p383)、共産党は働く女性の味方ではない(p386)
日本共産党も問題だとは思うが、「保育環境が悪いのは、行政のせいだ。」
とあっさり信じ込まされている父母会やマスコミも情けない。
何が本質なのかを見極める力を身に付けましょう。(た)
久田恵著「ニッポン貧困最前線〜ケースワーカーと呼ばれる人たち」(文春文庫)
認可保育園に入る時、行政側の窓口だったのが福祉事務所。
いろんな思いを抱えて、私たちはここを訪れました。
どきどきしたり、ほっとしたり、時にはムッときたり・・・。
そういう親の側の感想はいろんなところで語られています。
そして、どちらかといえば、この場所に対してあまり良くない印象を抱い帰る方の
ほうが多いように思います。
この本は、あの福祉事務所で働くケースワーカーたちの日常をいくつか取り上げて
取材したものです。以前、福祉事務所職員の勉強会が発行する機関紙に載せられた
福祉川柳なるものが巷にさまよい出たことがありました。
その一見悪意に満ちた内容に世間は憤り、福祉事務所を激しく糾弾したものです。
著者の久田氏はこの問題を嘆かわしい思いで見つ
めつつ、しかし、そのことによって彼らが全面的に否定されるのは、
あまりにも公正さを欠き今後に与える影響が甚大と判断。ペンをとったそうです。
福祉の現場で仕事をすることがどういうことなのか、この本を読むと赤裸々に
伝わってきます。
時には目を覆いたくなるような現場にも直行しなければならないし、罵詈雑言、
暴力沙汰にも日常的に遭遇します。
しかも、彼らの仕事は表立って評価されることが少なく、何か事が起こると
マスコミからは”弱いものいじめ”と叩かれ、逆に行き過ぎが生じると
今度は行政から締め付けられる。
福祉とは何なのか、どうあるべきものなのか、考えさせられる一冊です。
この本を読むと、共稼ぎの両親のための保育が同じ福祉のカテゴリーに入ると
いうことに、違和感を抑えられなくなる向きもあるでしょう。
また、福祉事務所の対応に腹が立った、という人も彼らが
そうなってしまった背景が少し、わかるかも知れません。(せ)
武田龍夫著「福祉国家の闘い」(中公新書)
日本からスウェーデンという国を見ると、「福祉国家」「民主主義国家」の
理想的モデル国というイメージではないだろうか。
しかし、それは思い入れ過剰、一面的な理解であり「神話」にすぎないと著者は言う。
もちろんスウェーデンの長所を否定するという意味ではなく、
長所も短所も合わせて理解することが大切ということである。
まず、スウェーデンが日本と大きく違うのは徹底した個人主義の国ということである。
人間関係は(家族であっても)ドライであり、公平・平等の意識が非常に強い。
そのような国民性のもとでは、国家が主導的に福祉を行なうことになるのも自然な
なりゆきといえる。
しかし、そのような福祉国家も80年代後半になり綻びが見え始めた。
原因は経済の停滞である。
福祉には多大なコストが必要であり、また自律的に費用拡大に向かうという性質が
あるため、経済成長がなければ福祉の維持は困難である。
これはスウェーデンにおいても例外ではない。
そこで、年金年齢の引き上げ、年金の減額、児童手当の切り下げ、失業手保険の
引き下げなど
あらゆる福祉の見直しがなされたのである。まるで、日本のようではないか。
スウェーデンの世界有数の税率の高さからすれば、もうこれ以上税金を上げることは
到底不可能であり、現在、スウェーデンでは公的福祉から家族・親族の福祉、
選択的福祉への転換を模索中である。
一方、日本では介護保険に見られるように、これまで家族が行なってきた福祉を
公的福祉、全面的福祉へ行なう方向に進んでいる。
個人主義社会から出発したスウェーデンと、家族社会から出発した日本では、
おのずと福祉の方向性も違ってこよう。
ただ単にスウェーデンを礼賛し見習おうというのでは、安易にすぎる。
美化や理想化はほどほどにし、見習うべきところと見習うべきでないところの
切り分けをはっきりさせることが大事なのである。(た)
スペンサー・ジョンソン著「チーズはどこへ消えた?」(扶桑社)
育児でも福祉の本でもないが、変化を恐れる父母の方々には
ぜひ読んでほしい一冊である。
保育園や学童保育の状況は、これからどんどん変わっていくだろう。
そのとき、ヘムのような父母は果たして変化に対応できるのだろうか。(た)
- 公立保育園や学童が大事であればあるほど、それにしがみつきたがる。
- 新しい方向に進めば、新しい保育園が出来る。
- 従来どうりの考えをしていては、新しい保育園は出来ない。
向山洋一著「学校の失敗−誰が子供を救うのか−」(扶桑社)
帯より『現役の小学校の教師であり、また教師6,000人が参加する教育研究団体の
主宰者である著者が教師が変われば、子供が変わる-と解き明かす。
怒鳴る必要はまったくない。知的な授業でクラスは様変わりする。
さまざまな実践で裏打ちされたプロ教師の技が、ここで公開される。』
自由という名の放任の元に,子どもの顔色を伺っていた教師の態度が
学校崩壊の最大要因であるとし,魅力的な授業には「ワザ」があり,
それは共有できるものだ,と言うのが著者の主張です。
私は教育の専門家ではないから,その是非はわかりませんが,
そういう面もあるということは正しいでしょうし,
現在の教育の現場では,教師一人一人が気づかなければ教育の「ワザ」を
学習する機会は少ないようです。
父母よりも教師に読んで欲しい内容ですが,子どもは何をきっかけに伸びるのか,
子どもの疑問はどこにあるのかなど,事例が豊富で参考になりました。(お)
佐々木宏子著「絵本の心理学−子どもの心を理解するために−」(新曜社)
佐々木先生のコメント『どんなにすぐれた絵本でも,すべての子どもに
好まれるわけではありません。
いい絵本を与えようと意気込む親ほど、「3歳児の60%がこの本を好きだ」→
「3歳児にはこの本がふさわしい」→「3歳児のくせにこの本が好きでないのは
おかしい」という間違った考え方におちいりがちです。
絵本も個人別、個性別に子どもの状況に合わせて、その子にちょうどのものを
選ぶ工夫をして欲しいのです。』
発達心理学からみた絵本研究の第一人者である佐々木先生。
鳴門教育大学付属幼稚園の園長先生としても日常的に子どもたちとふれあい、
子どもたちをその膝にのせて絵本を読んであげているのだそうです。
本当に知的でやさしく素敵な先生なので,機会があったら是非先生の講演など
聞いてみて下さい。
本の内容は,子どもの心理状況によってどんな絵本を読んであげたら良いか,
この絵本では子どものどんな面を刺激するか,といった子ども視点から
絵本を分析したもの。
学生アンケートなどの実際にどんな本でどんな感じを受けたか,
子どもの頃はどんなことを
考えていたのかなど事例が豊富にあり,自分が子どもの頃を振り返ったり,
子どもがどんなことを考えているのか想像したりするよいきっかけになります。
絵本2100冊のデータが入ったCD-ROM付(Windows95,98,2000対応)。
CD-ROMの操作性はあまりよくないのですが,佐々木先生独自の子どもの状況を表す
キーワードで分類された絵本DBは,絵本の検索だけではなく,子どもの心理状況に
そういうのがあるのかというのに気づかされます。
またその状況にお薦めの絵本がすぐ検索できるのもうれしい。(お)
岸本裕史著
「すべてのこどもに確かな学力を 小○年篇」、「幼児期に学力の土台を」(たかの書房)
内容は1980年代に書かれたもので、多少時代が違いますが版を重ねているところをみ
ると教員の間では根強い支持があると思われます。基本的にプロの教師が如何にして
子どもたちに基礎学力をつけさせるかの実践的なお話で、「民主主義の基礎は読み書
き能力」という断言や、勉強すれば基礎学力は付く、という信念が気持ちいいです。
学齢期の子どもの最大の課題は勉強することなんだ、という当たり前のことを思い出
させてくれます。遊びはもちろん大事、だけど学校の授業についていけないことがあ
ったらちゃんと親が勉強させてあげないといけないんです、父母会活動なんかやって
る場合じゃない。「学童保育」関連本が妙に心情的で抽象的なのに比べてさすが学校
の先生はプロだな、と思いました。
ちなみに「幼児期。。」の方には入学前に文字に親しんでることは必要、赤ちゃんで
はない子どもの質問にはあいまいな童話的説明だけでなくちゃんと学問的なことを教
えるようにという主旨の記述があります。確かに月の満ち欠けを、就学前の子どもに
対して電球とボールを使って地球と太陽と月の位置関係で説明できるような親の子な
ら「学力」はあるでしょうね。これまた運動系の人たちが「学力」を妙に嫌うのと違
って毒消しになります。(う)
中野民夫著「ワ−クショップ 新しい学びと創造の場」(岩波新書)
川崎子ども夢パーク推進委員会(第1回)2・2に副委員長になった
桜井義維英(国際自然大学校)さんご推薦。
紹介話の感じで、ご自身の著作と勘違いしていました。
ぱらぱら、読み始めましたが、書き口が上手く(読みやすい)気楽に読めて
頭の整理になりました。
筆者が、自分のワークショップの原点として、
”湾岸戦争をアメリカで迎え、大いに困惑して
「戦争を止めるためにはどうしたらいいのか、何ができるだろうか?」
と問うた時、
「その問こそが出発点です。孤立せずに、集いあい、語りあうことが力です」
とジョアンナ・メイシーに返されたのが原点だ。”
と書いてます。
(い)
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