家事する男の作り方(古川)
古川です。家族は夫、17才と12才の娘で、この中では子どもが一番大きいです。
私は女性ですが、育時連に集う男性は、世間に比べると家事育児を割とよくやっています。
この人達の特徴をみると、何故か理系が多いんですね。ここにいる育時連男性も
1人を除いて全員理系です。理由はよくわかりませんが、一つは、理系は結果を
出せばよい仕事が多いので、自由がききやすいことでしょうか。もう一つは、自
分の時間を自分で調整するのになれているからかな、と思います。
育時連の活動内容を見ていると、当初は「生活するためには家事育児が必要。
男だって担うべき」という主張を持って活動している人が多かったようです。
この人たちを私は「理論派」とひそかに名づけています。しかし最近、この理論派
とは別種?と思われる男性もちらほらみかけます。「男の家事」って、それ
普通でしょう?・・・ってノリの男性です。「生きるためには家事育児が必要。
男だって担うべき」っていう正論も、彼らには「生活するためには呼吸が必要。
男だって呼吸すべき」って聞こえてるんじゃないかって、私には思えたりします。
私はこの人たちを「脱力系」と呼んでいます。
では、昔より家事・育児する男は増えたのか? と考えると、どうも違うので
はないかと思えます。私は四国の田舎の出身なのですが、私の父親が育児男でし
て、私は男が育児をするのは当たり前と思っておりました。で、「父性の研究」
などという本を読みますと、田舎の父親の方が都会の父親よりも家事・育児をし
ているんですね。田舎の方が封建的で性役割分業が強いとすると、父親は家事・
育児をしないはずなんですけど…。
そもそも、昔の生活ってどこまでが家事で、どこまでが育児で、どこまでが生
産労働か、はっきり分けられません。夕飯の味噌汁を作ってて、ネギが足りなく
なったから裏の畑からネギを取ってくる。そのときにちょっと雑草も抜いたりして。
さてこれは、どこまでが生産活動で、どこからが再生産活動か?
高度成長とともに都市が成立し、性役割分業が固定化したのは、ごく最近の
ことなんです。
都市においてもこの性役割分業のたがが少し緩んできたような兆しはありますが
現に夫が何もしなくて困っている人には「一般的傾向」の話をしても助けになりません。
特に一番たちが悪いのは、言うことは立派で手が動かない人、ほんの少しやってるだけで「やってる!」
気持ちになっている人です。つまり、意識と行動が乖離している人ですね。一体
そういうのをどうしたらよいのか。
意識から行動を変えるのには限界がある。では、逆はどうでしょう?行動から
意識を変える。これは心理学の実験でも確認されている事なんですが、人は一度やって
しまったことは肯定的にとららえ始めるという傾向があります。誰だって自分のやったことは
肯定したいですからね。
既にやった事実を変えることはできないから、自分の認識の方を
変えるわけです。あれは面白かった、有意義だった、君もいっぺんやってみなさい、と。
「家事育児をしない男性を変える」のも同じ手が使えそうです。なんでもいいから、
だまくらかしてでもいいから、チョロッとやらせちゃう。とにかく手を動かさせちゃう。
まず「やった」という既成事実を作っちゃうのが効果ありじゃないかと考えています。
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