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第4章 夫婦ふたりで家事・育児をするということふたりで家事・育児をするということは共同作業である。それゆえ、前章で見てきたように多様な分担・共同の形があり、ふたりで協力し合い一日の生活を組み立てている。これらは、一般的には妻が全てひとりでしていることが多く、その責任も妻がひとりで背負い込んでいる場合が多い。しかし、本研究の対象者たちのように夫婦がふたりで家事・育児をするということは、その責任もふたりで背負っていかなければならないのである。このように、性別にこだわらない新しい分業の形、仕事も家事・育児もふたりでやるからこそ生じてくるもの、見えてくるものがあるのではないだろうか。本章では、実際に夫婦がふたりで家事・育児をやってみて、そこから生じる影響やお互いの家事・育児に対する考え方など、一歩踏み込んだ視点から探っていきたい。 第1節 悩みふたりで家事・育児する夫婦は、お互いにどんな悩みを抱えているのだろうか。アンケートの結果、最も回答が多かったのが、「仕事との両立が体力的、時間的にしんどい」(ケース1・妻)、「仕事との両立上体力的にしんどくなっている」(ケース1・夫)、「夫の帰宅が遅い」(ケース3・妻)、「私の仕事からの帰りが非常に遅いので夕食の片付けや、子供の入浴などができない」(ケース3・夫)など、仕事との両立に関する悩みである。 (1) 仕事との両立フルタイムの共働き家庭では、子供がいないうちは、お互いに好きなだけ仕事をしながら、残った時間で家事をしていけば良いかもしれない。しかし、子供がいるということは、家事も育児も子供に合わせて待ったなしで押し寄せてくるのである。本研究の対象者たちもみんな、最も手がかかると思われる小学校に入学する以前の子供を持つ親である。彼らは決して暇だから家事・育児ができるのではない。2章でも見てきたように、みんな長時間労働であり、熱心に仕事に取り組んでいる人たちばかりである。ではなぜ、家事・育児ができるのか。それは彼らが家事・育児のために時間を作っているからなのである。
これは、アンケートで「仕事との両立上体力的にしんどくなってきている」と回答したケース1の会話である。夫は毎日帰ってくるのは3時前後であるが、朝は子供に「必ずご飯を作って」保育園へ「連れて行かないといけない」ので、毎日睡眠時間は「3時間から4時間」だと述べている。毎日この生活を続けているのだから、体力的にしんどいのも当然である。実は、夫は去年の7月から労働組合の委員長をやっていて、通常勤務が終わったあとに、時間外労働で労働組合の活動をやっている。その結果、「それがプラスになったぶん、どうしても無理が来た」と言っているが、それまでの働き方について、「夜政治家のところへ行ったりとか、役人とこに行くのとかは出来るだけセーブして早いとこ帰る」とか「朝早く政党の会議」に行かなくてはならないときなどは「任せられるところは同僚に任せる」ようにしていたと述べており、忙しい中にもセーブできるところはセーブすることで、自分で家事・育児をする時間を作り出していたことが分かる。また、このことから家事・育児の時間を作るためには、会社や同僚の理解が非常に重要だということが言える。おそらく最初は周りの理解が得られず辛い思いをする時期もあるだろう。しかし、家事・育児のために仕事をセーブするという生活を続けることで、周りも徐々に理解してくれるようになるのではないだろうか。つまり、家事・育児の時間を作るためには、周りの理解を得ることからはじめなければならないのである。そして、特に男性の場合、女性よりも周りの理解を得ることが難しく、家事・育児の時間を作るための努力もより一層必要となってくると考えられる。ケース1の場合、夫はすでに周りの理解を得ており、家事・育児の時間も自分で作ってきた。しかし、去年から引き受けた労働組合の仕事は、人に任せることのできない仕事であり、自分で時間のコントロールができない。それでも、家事・育児は生活するうえで、やめたり諦めたりすることのできないものであるので、労働時間が延びても、家事・育児は今までどおりやろうとするため、仕事は増えた上に睡眠時間は減り、体力的にきつくなっているのである。しかし、やっぱり夫の労働時間が長くなった分、その間の家事・育児は妻が全てひとりで背負っており、そのしわ寄せが妻にのしかかっている。だから妻は、夫の身体を心配しながらも、夫が自分ほど仕事を諦めていないことを「おおいに不満」に思っているのである。 また、妻の育休が明けてまだ1ヶ月ちょっとというケース3も、「夫の帰宅が遅い」ことを悩んでいるようだが、このことを我が家のメインテーマだと語る。
ケース3の場合、同じ仕事との両立の悩みといっても、体力的にキツイという悩みではなく、どう家事・育児の時間を作っていくかという悩みである。つまり、ケース3の場合、子供が生まれてから本当の意味で、ふたりで仕事も家事・育児もという生活をはじめて、まだ1ヶ月ちょっとしか経っていないため、夫は会社や周りの理解をまだ得ることができていないのである。そのため、家事・育児の時間を作るのにとても苦労し、「我が家のメインテーマ」というほど悩んでいる。もちろんこの場合も、そのしわ寄せは妻に来ていて、アンケートでは「仕事なので仕方ないが、せめて週に2回は8時前に帰ってきてくれれば子供の入浴が楽なのだが」ともらしている。夫は休日出勤や深夜残業もあるため、その分平日突然休みたいとか遅刻したいというときには割と融通が利くので、できる限りはそういう形で妻に「貢献したい」と述べている。このように「いざとなったとき」には会社の理解は得られるけれども、「普段の自分の時間の何%を会社にいていいかという感じ方がちょっと違うんじゃないかな」と夫は感じている。つまりは休日出勤や深夜残業のことであるが、「結構独身者が多い」ということが理解を得られない原因の一つではないかと夫は考えている。もちろん、これも一つの原因であると思われるが、独身だからといって長時間労働していいというわけでもないし、これが過労死の原因となることもある。要は、独身とか子供がいるとかに限らす、どんな場合でも自分の時間をもつことは大切なことであり、そのために仕事をセーブするということが悪いことではないということを、みんなが理解することが重要なのである。夫はアンケートで「会社にいる時間を短くしてもう少し(家事・育児を)できるようにしたい。そのためにはいま会社で担当している業務が多いので、徐々に業務を減らしていくように周りと調節していきたい。それがうまくいかない場合、異動希望や転職を考えたい。妻には無理をしないで欲しい」ということも言っており、どうやってでも家事・育児の時間を作ろうとしている。ケース3の夫の会社でも、もう少し時間をかけて理解を求めれば、ケース1のように家事・育児の時間を自分で作ることが可能になるのではないだろうか。 このように、フルタイム共働きで家事・育児をしている夫婦にとって、時間的にも体力的にも仕事との両立は大きな問題となっている。しかし、どんなに大変でも、彼らは家事・育児を諦めるという選択はしない、というより、子供はもうそこにいるのだから諦めるという選択はできないのである。みんなどうにかして家事・育児の時間を作るため、会社や周りの理解を得ようと必死である。その結果子供が4歳になるケース1や、ここでは取り上げなかったが子供が6歳になるケース2では、周りの理解も得られ、家事・育児の時間を自分で作ることに成功している。ただ、いくら理解が得られたからといって、仕事を休んでいることには違いないのだから、快いわけではないだろうし、それなりの苦労はあると思われる。また、ここでは特に夫について取り上げたが、決してこの悩みは夫だけのものではない。妻もフルタイムワーカーであり、家事・育児の時間を作るため会社で様々な努力をしている。ただ、ケース3の夫も「社会全体が変わっていかなきゃどうしようもない」と述べているように、社会の体質はまだ「男は仕事、女は家庭」から変わっていない。そのため、働いている女の人に対しては家事・育児もするものだという思いはあっても、男の人に対して家事・育児もするものだという理解を得るのはなかなか難しいと考えられる。したがって、新しい分業の形では、長時間労働の夫は、仕事と家事・育児の両立に特に苦労するのである。 (2) 子供が病気になったときさらに、仕事との両立の上で最も大変なのが子供が病気になったときの世話である。これは共働き夫婦の育児にとって、非常に大きな問題であるようだが、日常的にあるものではなく突発的に起こりうるものであるがゆえに、仕事との兼ね合いから分担を決めるのは困難なようである。では、子供が病気になったとき彼らはどのように対応しているのだろうか。
ケース3では子供がまだ9ヶ月で、一番病気をしやすい時期であり、保育園に行き始めて一ヶ月ちょっとでもう5,6回も呼び出しをくらっている。だから「病気になったときっていうのが一番大変なことだなぁって思います」と切実な思いを語る。そのときの対応としては、夫のほうが仕事が忙しいので基本的には妻が保育園から電話を受けて対応するが、妻が行けない場合は夫が対応する。また、朝から病気の場合には「午前(夫)が休んで、午後私が休んだ」と妻が言っているように、片方は遅刻、もう片方は早退をすることで、お互いに仕事への影響がどちらかに偏ることのないよう対応している。 では、子供が4歳になるケース1の場合はどうだろうか。
ケガなどで子供を病院に連れて行く場合は、妻はフレックスタイム制度を利用して遅刻をし、子供が熱を出したなどで保育園から呼び出しがあったときは、半日休暇を利用して午後は仕事を休むという形で対応している。また、朝から子供が病気の場合は、「どっちか休めるほうが一日くらい休んで、明後日はベビーシッターさんにするか、それとも熱が下がってきたら病後児保育にするか」というように、話し合いをして、お互いの仕事の都合がつくほうが迎えに行ったり休んだりして対応している。 このように、病気の子供を保育園では預かってくれないので、共働きの場合仕事への影響は避けられない。そのため、夫婦はお互いに良く話し合って、そのとき最も仕事への影響が少ないほうが対応するという方法をとっている。その場合、フレックスタイムや半日休暇、ファミリーフレンドリー休暇、が非常に役に立っているようである。そのほか有休を使うことも多いようだ。しかし、何日も病気が続くと、何日も仕事を休むわけにはいかないので、その場合はベビーシッターさんや病後児保育など、外注することでどうにか対応する。この2つのケースの場合、妻が対応する場合のほうが多いようだが、それは妻のほうが保育園に近かったり、仕事の都合がつきやすいなど、たまたま条件がそろっていただけであって、実際には「どちらか片方だけにしわ寄せがいかないこと」を一番の条件と考えて、よく話し合って対応している。 第2節 両立のコツ前節で見てきたように、ふたりで働きながらする家事・育児には、仕事との両立上問題も多く、彼らはとにかく忙しい毎日を送っている。それゆえ、彼らには時間の余裕はほとんどなく、仕事と家事で一日はあっという間に終わってしまう。しかし、彼らはそんな忙しい毎日の中で、時間を作る方法や、家事・育児を効率的にする方法など、多様な仕事との両立のコツを経験から考え出している。ここでは、その両立のコツを探っていきたい。 (1) 家事の省力化「家事はどれだけうまくやるかよりも、どれだけうまく手抜きしているか」(ケース3・妻)というように、時間のない中で家事をやっていくには、家事そのものにかかる時間を短くすることが重要なポイントであるようだ。
「冷凍で半加工の状態にあるものを工夫するだけで完成品にしちゃう」、「冷凍の野菜とかを常備しておいて、野菜が足りないなって思ったときはそれを使うようにする」、「2,3日分まとめて作っておく」と述べているように、特に料理は時間を有効に使う上で手抜きしやすいものであることが分かった。その場合、いつでも使いたいときに好きなだけ使うことが出来る冷凍食品は、非常に重宝されている。しかし、完全に出来合いの冷凍食品やインスタント食品、レトルト食品などはあまり使われていないようで、ケース3の妻の「野菜が足りないって思ったとき」に使うという語りからも分かるように、手を抜きながらも栄養など健康面には十分配慮しながら、短時間でできる料理を作る工夫をしている。また、ケース3の夫が「掃除だったら、今日はここはいいだろう」という感じで時間と汚れ具合との兼ね合いでしないときもあるというように、そのときの状況により臨機応変に手抜きをするということも大切である。 また、ケース2は、家事が機械化してきたと語る。
ケース2では「(洗濯機)二層式だったのを全自動」にしたり「食器洗い機」を買ったり、「乾燥機」や「布団乾燥機」を買ったりと、家事がどんどん機械化してきたと言う。また、地球環境によくないという気負いからずっと布オムツを使っていたが、三つ子が生まれたことでそれではやっていけなくなり、紙おむつに替えたと言う。一見普通の家庭でもやっていることのように思えるが、もともと布オムツを使っていたケース2にとって、紙おむつに替えることは、寝る時間の確保だけでなく洗濯物を減らすという意味でも大きな省力化となっている。その他にも「買い物は生協で宅配」してもらうとか、「掃除は外注していた」(ケース6・妻)のように、外注して家事を代行してもらうという方法も、家事時間を短くする工夫である。しかし、これらの家事の省力化はどれも、本来なら無償で行われる家事労働に、ケース2の妻が言うように「設備投資」したりお金を払ってやってもらったりしているのである。一般的にはこのようなやり方は、生活レベルを下げているように見られがちで、もちろん一般家庭よりも日常生活にお金がかかっているわけだが、彼らは二人で働いているので、一般家庭よりも収入は多く生活水準も高いということがいえる。つまり、家事を省力化したからレベルを落とすとか上げるとかではなく、今ある生活レベルのまま「違うやり方を作っていこうっていう感覚」だと述べているように、お金を出してでも、時間を作りながら生活していくこれらの工夫は、彼らの生活に最も合ったスタイルなのである。 (2) 育児の工夫家事では、機械化や手抜きをすることで、省力化、効率化を図っていたが、育児では生きた人間が相手であるため、家事のように機械化や手抜きをするわけにはいかない。つまり、育児は仕事との両立の上で最も効率化が難しく、思い通りにはいかないものなのである。前節では、子供が病気になったときにフレックスタイムや半日休暇など、会社の制度を利用して対応することをあげたが、これらも育児の時間を作るための工夫である。また、育休明けから育児時間を取得している妻が多かったが、これも長期にわたって育児の時間を確保するための工夫である。これらは全て、仕事の時間を削るという方法で育児の時間を作っているが、それ以外にはどんな工夫をしているのだろうか。
ケース1もケース2も「保育園があるから」という理由で、その近くに家やマンションを購入したと述べている。保育園の送迎にかかる時間を短くするという方法は、仕事にも影響を与えず、なおかつ育児に手抜きをすることもなく時間を作る方法である。保育園の送迎は、育児の中で唯一何に影響を与えることもなく省力化できるところだといえる。彼らにとっては家を購入するということにおいて、保育園が近くにあるということが非常に重要な条件となるのである。
また、妻の労働環境が変化したために、子供を6時半に迎えに行くのが困難になってしまったときのケース1の対応は「夜のお迎えを(夫に)代わってもらう」か「ベビーシッターさんにお願いして外注する」か「延長保育」という3つの方法であったと述べている。これらの方法は自分たちが無理をして仕事の時間を削るか、お金を出して人に頼むことで子供に無理をさせるかというもので、方法はこれしかないため、どれも育児をする上での工夫であるといえるが、同時に育児の省力化の難しさを物語っているところでもある。妻は本当は週に何回か夫にお迎えを代わってもらうことを望んでいたが、このあと話し合いから喧嘩に発展し、結局仕方なく「延長保育」という子供に犠牲を強いる形になってしまった。そして「一番安易な解決方法だったけど、ベストな解決方法じゃなかった」と今でも悩んでいると述べたのである。このように、家事に関しては省力化することは容易なことであるけれども、育児の省力化はどんな工夫であれ、必ず誰かにしわ寄せがいき、誰かが犠牲となってしまう。育児と仕事との両立には、ベストな方法などないのかもしれない。 第3節 相手の家事・育児への思い何事もそうであるが、一つの仕事を共同でする場合、みんなが同じやり方同じ考え方をしているわけではない。本研究の対象者たちも同様に、ふたりで家事・育児をやるからこそ、お互いに相手に対して気になっていることや考えていることがあるのではないだろうか。この節では、夫婦がお互いに相手の家事・育児に対して抱いている考えや、お互いの家事・育児に対する評価をみていくこととする。 (1) 夫のイライラ「お互いに相手の家事・育児で気になっていることはありますか?」と質問したところ、全てのケースで夫は「ありません」という回答だった。家事・育児においては妻のほうが上手だし、よくやっているという意識があるのであろう。しかし、妻からは、特に育児に関して「夫が怒りすぎる」という同じ回答がいくつも返ってきた。
ケース1、ケース2共に「子供が出来るまで、この人がこんな大声だしてキレるなんて思わなかった」「父ちゃんは怒らない人だった」と妻が述べているように、夫は子供が出来るまでは温和で怒らない人だったけれども、子供(三つ子)が生まれてからはイライラすることが多くなり、凄く子供を怒る人になったのである。妻からすれば、それは怒りすぎと思えるほどであり、気にかかっているようだ。原因はいくつか考えられるが、後でケース1の夫が「育児って非常に不合理なんです」と述べたように、小さい子供は大人のように思い通りには動いてくれないし言うことも聞いてくれない、その上時間のコントロールも自分ではできないという、育児の不合理さがあげられる。また、ケース2の夫が「負荷が桁違いだった」と言っているように、仕事で疲れて帰ってきて家では育児といったように、仕事でのストレスから育児へのイライラが募っていったということも考えられる。そしてケース2の妻がアンケートで「それまでは育児はおいしいとこどり、家事は頼まれたことだけだったので家事育児の大変さが良く分からなかったのでしょう」と回答してくれたように、家事・育児をやるようになって、色んなことに気がつくようになり、色んなことが分かってきたから、イライラするようになったということが考えられる。2章できっかけを見てきたときも、ケース2の夫は「長女のときから」というのに対し妻は「三つ子か生まれてから」と言ったように、「おいしいとこどり」と「やるようになってから」の違いはここにも現れているといえる。また、ここから、父親と母親のしつけ役割の違いが生まれてきたということも考えられるであろう。 (2) 妻の思い前項で見てきたように、育児に対して気になっていることは、やはり子供が相手であることからも、妻は比較的夫に対して自分の思いをぶつけているようだが、家事について気になっていることでは、夫に思いをぶつけず、妻は我慢したり黙認したりする傾向がみられた。 アンケートで「玉子焼きがまずいんだけど、夫のプライドを傷つけすにどうやって美味しい作り方を教えてよいものか悩んでいる」と答えたケース1の妻は、その後「夫がやってくれているだけありがたいと思い、そのやり方に文句をつけるべきではない、と思っているので、重要なポイント以外は口を挟まないようにしている」と述べている。さらにインタビューで気になっていることを質問すると「いやもう、私がこれ以上望んだらバチが当たるでしょう。世間のほかの主婦から袋叩きにされるでしょう」と述べ、アンケートで回答してくれたような内容に関しては一言も触れなかった。同じようにケース3の妻も夫の家事で気になっていることについて次のように語る。
妻は夫が「食器を洗うときに水を出しすぎる」ことを気にしていたと言うが、それらを昔のこととして語る。つまり今は解決しているということだが、それは夫が直すという方法ではなく、「それぞれがやるからにはそれぞれのやり方はある程度許容しないと」「その辺は妥協しないと」と妻自身が考え方を変えること、妥協して黙認することで解決している。このように夫と家事を分担する上では、妻は気になっていることがあっても、それが家事の内容など質的な問題である場合、お互いのやり方・考え方の違いとして許容し、夫にその思いをぶつけることなく、妥協・我慢・黙認という形で解決する傾向がみられた。そこには「夫がやってくれているというだけでありがたい」という感謝の気持ちや、「分担するためには仕方がない」という妻の気持ちが隠れている。 (3) 評価ではここで、対象者たちが自分の家事・育児と相手の家事・育児に対してどのように感じているのかという評価をみていきたいと思う。まず、お互いに家事・育児を何%ずつ分担・共同していると思うかを答えてもらい、その後お互いの家事・育児を100点満点で採点してもらった。ここでは、夫婦両方のデータが揃っているケース1からケース4のデータの中から、非常に特異なデータであったケース4を除く3ケースのデータを使って分析していくこととする。 夫婦の分担の割合では、家事について夫は全てのケースで「自分30%、妻70%」と答えたのに対し妻は「夫35〜40%、自分60〜65%」の間に評価が集中した。育児では回答がばらつき、「自分30%、妻70%」(ケース1・夫)に対し「夫45%、自分55%」(ケース1・妻)、「自分65%、妻35%」(ケース2・夫)に対し「夫60%、自分40%」(ケース2・妻)、「自分10%、妻90%」(ケース3・夫)に対し「夫35%、妻65%」という結果になった。ケース2の育児を除く全ての場合で家事・育児共に夫は50%以下、妻は50%以上という割合で分担していることから、共働きで夫も家事・育児に積極的に取り組む家庭でも、夫婦がまったく平等に半々の割合で分担するということはなかなかなく、実際には妻のほうがたくさん分担していることが多いのだということが分かった。ケース3は、夫婦の分担を決める際の割合について次のように語った。
「同じ量のことをやるにしても」妻のほうが「短い時間でできる」ことから、分担は量ではなく時間が50:50になるようにしたと述べている。さらにその時間についても、「夫のほうが仕事にとられる時間が長い」ことから、現状では半々にはなっていないようである。その結果、当然家事・育児の量は妻のほうが多くなったと語る。このように、夫が家事・育児に慣れていないことによるスピードの差と、仕事にとられる時間が夫のほうが長いということが、夫婦の分担を半々にすることを困難にしている原因だと考えられる。しかし「やっぱり居る分にはすごくやってると思うんだけどね」(ケース3・妻)と述べているように、家にいる時間が短いという限界はあるけれども、家にいるときにはすごくやっているということが、量を基準にしている分担の割合には反映されなかったが、努力も評価に考慮される点数には表れた結果となっている。 採点を「最低値〜最高値」で紹介すると、まず、夫は自分を「家事50〜70点、育児50点〜80点」と採点したのに対し、妻は夫を「家事70〜80点、育児80〜90点」と採点した。逆に妻は自分を「家事60〜80点、育児70〜80点」と採点したのに対し、夫は妻を「家事80〜100点、育児70〜100点」と採点している。割合では半々に分担できていないという現状があっても、点数(特に妻が夫に対してする評価)は合格点といえるほどの高得点となっている。また、割合・点数両方に対して言えることだが、自分が評価したものよりも相手が自分に対して評価したもののほうが、評価が高いという傾向がみられた。このことについてケース2、ケース3に伺ったところ次のように語った。
「過大評価と自己の謙遜」「ちょっと遠慮したかも」と述べており、これは夫婦どちらにもいえることだが、自分の評価は謙遜から低めになり、相手に対しては過大評価するため高めの評価になるということが一つの理由と考えられる。また、「していないできないっていうような、ある意味謙遜以外のコンプレックス」「実際やってるかどうかよりも、自分のできないことがあるなって思って」と、できないものがあるということが夫にとってコンプレックスとなって、その分自分の評価が低くなっていることが分かったが、これだけ家事・育児に参加しているにもかかわらず、このような評価をしていることからも、本研究の対象者の夫たちが、家事・育児をしなければならないこととして強く認識していることや、一般の男性たちとは意識が大きく違っているということが分かる。 第4節 よかったことこれまでみてきたように、ふたりで家事・育児をするということには、様々な悩みや苦労があった。それでも彼らが「ふたりで家事・育児」という生活スタイルを続けるのは、良いこともたくさんあるからなのである。この節では、この新しい生活スタイルのメリット、ふたりでやってよかったことについて探っていく。 よかったこととして最も多くあげられたのが「良好な夫婦関係が維持されている」(ケース1・夫)、「家族はもろくない状況が構築されること」(ケース2・夫)、「全ての苦労や喜びを実感を持ってお互いに分かり合えるようになったこと」(ケース2・妻)、「夫婦の会話の中で家事や育児に関する話題も多い」(ケース3・夫)という回答で、ふたりで仕事・家事・育児と全てに関わっていることで、お互いに話題や苦労や喜びを共有することができ、それが「良好な夫婦関係」や「家族はもろくない状況」を構築していくのである。では、彼らは喧嘩をすることが少ないのだろうか。
最初のうちはお互いに色々考え方の違いもあり、色々言い合ってたくさん喧嘩をしていたが、喧嘩して意見を交換することで徐々に分かり合い、今は喧嘩が少ない、という流れがあることが分かった。つまり、全ての話題を共有できることで最初のうちはむしろ喧嘩をすることが多いが、結果的には分かり合うことができ、喧嘩もなくなり、「家族はもろくない状況」を構築していくのである。また、何でも分かり合えることで、お互いにストレスを一人で抱え込むことがなくなり、育児ノイローゼになりにくいということも考えられる。『結婚とパートナー関係』の中で松田智子は「コミュニケーション不全や夫婦関係そのものの希薄さが、夫の「帰宅拒否症候群」や妻の「主人在宅ストレス症候群」あるいは熟年離婚につながっていく」と述べているように、夫婦が家事・育児のことで意見を交換し合い喧嘩ができるということは、夫婦関係においてとても重要なことなのである。妻が働いていてもいなくても、夫が家事・育児をしない家庭では、お互いに話題を共有することができないので、コミュニケーション不全、もしくは喧嘩を重ねても分かり合うことができないという状況に陥り、良好な夫婦関係は築きにくいものと思われる。 その他、妻が多くあげたものに「私がラク。私が仕事を続けられる」(ケース1・妻)、「私の負担が減ったこと」(ケース2・妻)、「自分に余裕ができた」(ケース6・妻)などがあった。妻にとっては、夫が家事・育児を分担・共同してくれることは、自分が仕事を続けられる理由でもあり、自分にかかる家事・育児の負担を軽減させることでもあるので、そのことが単純に嬉しいことでありよかったことであるようだ。また、「共働きだと経済的にもそれなりに余裕があるため、旅行や外食などを楽しむことができる」(ケース3・妻)といった回答もあり、専業主婦家庭やパートタイムの妻を持つ家庭より収入が多く、生活水準が高いということもメリットにあげられる。そして最後に、ケース1の夫はこんなメリットもあると言う。
近所の人、マンションの人、保育園の人など地域社会とお付き合いをするようになり、「社会的生活の幅」が広がったと述べている。また、育児を取り巻く社会問題にも関心を持つようになり、夫は「会社と自宅の往復」だけの仕事人間には分からない、新しい世界を家事・育児をすることによって発見することができたといえる。夫にとって家事・育児は、色んな意味で幅を広げてくれ、新境地開拓の手段となり得るものなのである。 →第5章 |