近年の研究で、乳児には従来考えられていた以上の認知能力があることがわかってきました。それまで大人の側が一方的に乳児に対してケアを与えていると考えてきましたが、実は乳児の側が泣いたり笑ったりする事で大人のケア行動を引き出すように「仕掛けてきている」こともわかってきました。
この事実を、「赤ちゃんは何でも知っている」的に流用し、「子どもの正しい育て方」「ああしなければいけない、こうしなければダメだ」と細かく主張する人がいます。
子どもとふれあい、見つめあい、言葉を掛け合う事は大切で楽しいことです。でもそれを「守るべき義務」にしてしまうのは本末転倒といえるでしょう。心理学者は渦巻きを描いた紙と目・鼻を描いた紙を赤ん坊の上にかざして、どっちを長く注視するかを調べたりします。おもしろい実験ですね。でも、家庭は生活の場であって実験室ではありません。子どもは大人の行動に反応する被験体ではなく、私たちと生活をともにする家族です。
心理学等の見地から引き出される事実は、精神的ケアが極端な剥奪状態にある場合の問題であったり、単に「へぇ〜、赤ちゃんもこんな能力を持ってるんだ〜」という、素直に知的な関心から発するものだったりします。それらの研究自体は価値あるものですが、その結果を日常の育児にそのままあてはめて「ねばならない」を作り出す事は、かえって育児に有害な結果をもたらします。