EQG HOME > ライブラリ > 夫婦でする子育て 第5章←


おわりに

 最近では「男も家事・育児を!」と叫ばれることが多くなり、日常の中でも頻繁に「男の家事・育児」という言葉を目にしたり耳にするようになった。しかし、それらは一歩間違えると、「男の家事・育児」が強調され過ぎるあまり、あたかも「男も家事・育児をしなければならない」のだと警告されているかのように受け取ってしまいがちある。実際に、私自身そのように思っていたからこそ、男の家事・育児に興味を持ち研究テーマに選んだのである。しかし、本研究で新しい試みとして、これまで見落とされがちであった妻の視点も組み入れることによって、夫が家事・育児をするということにおいて、様々な場面で妻から受ける影響が非常に大きいということが分かったと共に、夫が家事・育児をするということよりも、夫婦がふたりで家事・育児をするということに意味があるのだという大きな発見をすることができた。そしてこの発見を通して、彼らが我々に伝えようとしているのは、「男も家事・育児をしなければならない」ということではなく、「男も家事・育児をすることができるんだよ」ということなのだということに気付いたのである。ここでは、これまでの分析結果をふまえつつ、新しい分業のあり方についてまとめると共に、彼らが我々に伝えようとしていることの真意に迫っていきたいと思う。

 まず、ふたりでする家事・育児では、一般的には夫はほとんどすることのない、子供のオムツの取替えや、ミルクをあげるなどの負担の重い家事・育児も夫婦で分担・共同しており、その他、慣れるまではなかなか気付きにくいため、大抵は妻がやってしまっているような細かい家事などにも夫は気付いてやっている。このことから明らかに本研究の夫たちが一般の男性よりも家事・育児をやっていて、「手伝う」ではなく「分担・共同している」というに等しいレベルのものであるということが確認できる。しかし、実際には、夫婦が半々で分担・共同しているのかというとそうではなく、夫の方が仕事に取られる時間が長いことから家事・育児に費やせる時間が短いということや、家事・育児に慣れていないため遂行スピードが遅いことなどにより、妻のほうが割合としては少し多めに分担している場合が多いということが分かった。ただ、夫たちは時間が短くても、家にいる間はとてもよく家事・育児をしていて、そのため、たとえ分担が半分ではなくても妻は夫の家事・育児を高く評価した。それに対し夫は、自分がまだまだ妻ほど家事・育児を分担できていないことにコンプレックスを感じ、一般の男性に比べてこれほど家事・育児に参加しているにもかかわらず、自分を低く評価した。このことは、夫たちがどれほど、家事・育児を自分のやらなければならないこととして認識しているかを表しているといえよう。新しい分業スタイルでは、夫婦がお互いに家事・育児の主体となり、お互いに親としての義務感まで感じながら家事・育児に取り組んでいるのである。

 また、新しい分業スタイルで生活している夫婦には、妻がフルタイムワーカーであり、応分の収入を得ていることと、夫が長時間労働であるが比較的時間に融通の利く仕事についていることという大きく分けて二つの特徴があった。分析を進めていくにつれて、この二つの特徴が、本研究の大きな鍵をにぎる二つの柱であることが分かってきた。

 まず、妻がフルタイムワーカーであることについて考えていく。夫が家事・育児をするようになったきっかけでは、多くの場合夫と妻の間で意見が異なっていた。家事・育児に対する夫と妻の意識レベルの差が、初期の時期では大きいということが原因だと考えられたが、特に気になったのが、妻が夫に意図的に家事・育児を仕込むことによって、きっかけを作り出しているという側面である。なぜ妻がこのような行動をとったのかというと、それは妻たちの中に、自分が働かないという選択肢は全く存在しないからである。5章でも見てきたように、本研究の妻たちは、働くことに対して非常に強い熱意を持っていて、その情熱は、家事・育児をしない夫とは離婚、できるものなら子供もいなくて心置きなく仕事のできる環境のもとで思う存分仕事をしてみたい、と思うほどなのである。このことから、ふたりで家事・育児をするというこの新しい分業スタイルのキーポイントは、女性=妻が働くことに対して固い意志を持ち、まずは女性=妻が先に、性別役割分業の壁を打ち破り、これまで男の人の役割だとされていた社会に出て、フルタイムで働くことで社会的に自立し、男性=夫と対等の立場に立つことが重要である。これがクリアされて初めて、次の次元として男性=夫が家事・育児に参入してくるかどうかという選択肢が表出してくるのである。逆に、男性=夫が先に家事・育児に参入し、そのことによって女性=妻に社会に出ることを促すというパターンはほとんどあり得ないと考えられる。ケース2の夫は「夫に家事・育児をやらせたいのであったら、責任範囲として妻も収入責任を負いなさい。収入責任を負わないのに、家事・育児責任を夫には要求するっていうのは、夫には家事・育児・収入の三つを要求しといて、妻は家事・育児の二つっていうのは、それは僕は不公平だと思ってるから」(ケース2・夫)と語っており、夫は仕事で疲れているうえに、自分から進んで家事・育児をしようなんてほとんどの場合考えられないといえる。さらに妻が専業主婦の場合にはなおさらそうである。したがって、ふたりで家事・育児をするという分業スタイルを築くためには、生きるうえで夫が家事・育児をしてくれなければ生活が回っていかないという状況がないと、忙しい日本男性はなかなか家事・育児に参入しにくいということがいえる。つまり、日本男性は仕事を持っているということが自明のこととなっているため、男性から先に家庭へ参入するというパターンがほとんどないのだと考えられる。さらに社会の流れからみても、女性の社会進出が進むことに一歩遅れて、男性の家事・育児参加が進んできたように、女性が変化したことから始まる、この社会全体の一連のプロセスと同じことが、今個々の家庭においても起こっていると捉えることができる。本研究の妻たちは「子育て」と共に「家事・育児をする父親育て」もしているのである。

 では次に、夫が長時間労働であるが比較的時間に融通の利く仕事についているということについて考えていくが、これには4章でみてきたようにもう一つの側面が存在していた。それは、夫たちが家事・育児のために時間を作り出しているということであった。現代日本では、男性の労働時間は非常に長く、本研究の夫たちもまたその例外ではない。男も女も利用できる育児休業法はあるけれども、実際にはあまり強く作用していないのが現実である。それでも彼らが家事・育児をできるのは、まだまだ性別役割分業観が強い中で、周囲の理解を得るために様々な努力を重ね、仕事と家事・育児の両立のために時間を作り出しているからなのである。私が本研究を始めるに当たって、家事・育児をする父親の条件として、制度を利用した者と限定していたが、その考えは間違いだったのである。制度を利用するよりもっと過酷な状況のなかでも、手伝いの域を超えて家事・育児に参加している父親は、たくさんいたのである。しかし、現代日本で仕事と家事・育児を両立させることは容易なことではなく、新しい分業スタイルでは家事・育児と仕事との兼ね合いが最も大きな問題となっている。実際に彼らも、「仕事との両立上体力的にも時間的にもしんどくなってきている」と切実な思いを語り、転職などを考えたりもしたが「社会の体質が変わらなければどこにいっても同じだ」と頭を抱えて悩んでいる。それなら、性別役割分業に倣ってもっと楽な生き方をすればいいのではと思うが、彼らはこの先も現状維持の生活、または妻の負担を減らすため、もっと自分が関わるようにしたいと望み、この生活スタイルを決して変えようとはしない。それはなぜかというと、大変なこともある分、この新しい分業スタイルにしかないメリットがあるからである。夫婦がともに仕事も家事も育児も共同することで、お互いが常に対等な立場でいることができる。その上、すべての話題について分かり合うことができ、本当に全てを共有することができる。これまでのように、仕事と家事・育児に分かれている場合お互いの大変さを分かり合うことができず、一歩間違うと、それは男の過労死や女の育児ノイローゼに発展しかねなかった。しかし、新しい分業スタイルにはこのような不安がないのである。さらに、彼らには二人分の収入があり、一般家庭よりも生活水準が高い。彼らの家事・育児には、機械化や外注など出費も多く、一見するとそれらは手を抜いているとか、生活レベルを下げているとみられがちであるが、そうではなく、彼らは彼らなりに生活レベルを保ったまま、違う新しいやり方を発見しただけなのである。収入の多い彼らにとっては、これが最も合ったやり方だといえる。また、共働きだと、子供にとって悪影響を及ぼすのではないかということもよく指摘されるが、彼らは子供と一緒に居られる時間が短い分、その時間をとても大切にし、むしろ子供との関わりが密になっているということに加え、妻だけでなく夫も積極的に子供と関わっているため、子供は父親と母親の愛情を両方平等に受けることができるので、むしろ子供への影響は良いものだといえる。

 これらのことをトータルとして捉えると、彼らのような新しい分業のスタイルは「夫が外で働き、妻が家事・育児に専念する」という、しばらく続いてきた生活スタイルとは様々な点で異なっているが、それで直ちに、夫は仕事にしわ寄せし、妻は家事・育児に手抜きをしているという、家族の欠損や機能不全としてみるのは間違っているといえる。これまでの歴史の中で、様々な社会変動が家族のあり方を変化させ、一昔前には性別役割分業というその時代に合った家族の形態や役割が生まれてきたように、今また少し社会が変動し、女性の社会進出などの動きの中で、今の社会状況に最も合った生活スタイルとして、家事・育児の夫婦共同責任という新しい分業の形が、必然的に生み出されたのである。そしてこれらが、現在において最も新しい夫婦の生活スタイルであるからこそ、特別なものとして頻繁に取り上げられ、完全に社会が変動する前の移行期において存在するから、社会に残留する体質との間で問題が生じているのである。したがって、社会の体質が完全に、女性の社会進出と男性の家庭参入を当然とするものへと移行すれば、この新しい分業スタイルは、世の中で最も理想的なライフスタイルになるであろう。

 ただ、最後に私が言いたいこと、そして本研究の対象者たちが我々に提示したかったことは、この新しい分業スタイルを全ての人に強制したいということではないということを理解して欲しい。これまでどおり、性別役割の生活でうまくいっている人たちに「男も家事・育児をしなければならない」などと言うつもりもないし、夫が専業主夫になるという分業のあり方ももちろんあって良いと思っている。重要なのは、夫婦がお互いに、「強いられる」ことなく「納得」して生活スタイルを築けるということである。そのためには、現在のように誰かが我慢しなければならないような社会ではなく、自分たちで納得して、一番合った生活スタイルを「選ぶ」ことのできる社会であって欲しいということなのである。

謝辞

 本論文を完成させるに当たって、再三にわたり根気強く私を支え、助力を与えてくださったたくさんの方々に謝辞を述べて、本論文の締めくくりとしたいと思います。

 至らない私を、終始親身になって優しくご指導くださった主査の池岡義孝先生、お忙しい中快く副査を引き受けてくださった村上公子先生、なかなか対象者が集まらず、困っていた時、ご多忙の中何度も間に入って対象者を紹介してくださった育時連の松田正樹さん、東京大学の木村吉博さん、インタビューに慣れない私に手取り足取り教えてくださり、インタビュー当日もビデオ係や助手として同行してくださった永田夏来さん、同じくインタビューに同行してくださった松木洋人さん、奥井朋子さん、皆様のサポートなしにはこの論文を完成させることはできませんでした。本当に、心より感謝いたします。

 そして何より、お忙しい中貴重な時間を割いて、ご自宅でのインタビューを快諾してくださり、私の未熟なインタビューにも真摯に答えてくださった6人のインタビュー対象者の方々に心からお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

引用・参考文献

男も女も育児時間を!連絡会編 1995 『育児で会社を休むような男たち』 ユック社
男も女も育児時間を!連絡会 家事プロジェクト著 2003 『男は忙しいから家事できない??』
柏木恵子編 1993 『父親の発達心理学 − 父性の現在とその周辺 − 』 川島書店
福岡・女性と職業研究会編 1982 『家事・育児を分担する男たち』 現代書館
Hochschild,Arlie 1989 The Second Shift:Working Parents and the Revolution at Home,Viking Penguin.(田中和子訳 1990 『セカンド・シフト − アメリカ共働き革命のいま』 朝日出版社)
山田昌弘 1994 『近代家族のゆくえ − 家族と愛情のパラドックス』 新曜社
善積京子編 2000 『結婚とパートナー関係 − 問い直される夫婦 − 』 ミネルヴァ書房

参考ウェブサイト

いくじれんホームページ( http://www.eqg.org/ )