EQG HOME > ライブラリ > 夫婦でする子育て 要約←→第1章


はじめに

 「女性の社会進出」、「少子化」、最近このような言葉をよく耳にするようになった。不況が長引く中、依然として就職難も続いており、一方では女性の社会進出が謳われているにもかかわらず、女性の就職は特に厳しい現状にある。私自身就職活動を経験し、女性の就職の難しさを痛いほど実感することとなった。女性の雇用率や、女性の育児休業取得率の高い会社はそれを売りに会社のPRをし、質疑応答では決まって女の子は「育児休業は取れますか?」と質問をする。どうしてこんな当然のことが、会社の売りになるのだろうか、なぜ、女の子だけがこのような質問をしなければならないのだろうか。私は就職活動中何度も繰り返されるこの光景にうんざりさせられた。これまでの学生生活では性別にかかわらず男も女も同じように教育を受けてきており、特に女性が男性より能力が劣っているとはどうしても考え難い。それに適材適所という観点から見ても、性別の区別をしないほうが、才能や能力のある人が不当に抑圧されること無く働くことができ、企業にとっても、個人にとっても得られるものが大きいのではないだろうか。それにもかかわらず女性の就職が厳しいのは、世間に根強く残っている性別役割分業観と、女性が子供を生むことで一時的に働けない期間が生じることに理由があるのではないかと考えられる。しかし、仕事をしたい女性にとって、子供を産むことで女性だけが働けなくなり、そのことで社会から敬遠され、男性は子供ができても飄々と働き続けることができるなんて、まったくおかしなことである。

 また、少子化が進行する原因の一つに出生率の低下が挙げられるが、この出生率の低下の理由には「晩婚化」、「子供の養育費など経済的問題」、「仕事と子育ての両立の難しさ」などが主なものとしてあげられており、これらの理由をながめていて、私はある疑問を感じた。それは、自ら子供を持たないことを選択した人よりも、子供は欲しいが仕方なく子供を持たないことを選択したという人たちのほうが圧倒的に多いのだということである。つまり、少子化の原因は個人の意識の問題というよりも、むしろ社会全体の体質にあり、それが今なお根強く残っている「男は外、女は内」という性別役割分業観ではないだろうかということに気がついたのである。それならば、この性別役割分業をなくし、男も家事・育児をし女も外で働くことが普通に行われる社会を目指すことで、経済的問題も仕事と子育ての両立も解消でき、少なくとも子供を持ちたいと望む人たちの出生率の低下を緩和することができるのではないだろうか。

 しかし現状を見てみると、性別役割分業観がまだまだ根強く、たとえ女性が社会に出たとしても、男性と対等に働けるほど女性を助けてくれるような強い効力を持つ法律や制度もない。その上、女性の社会進出は徐々に進行しつつあるにもかかわらず、男性の家庭への進出は一向に進行しないままである。これでは「男は外、女は内」どころか「男は外、女は外と内」という最悪な事態に近づきつつあり、女性は大変な苦労を抱えて生きていかなければならなくなってしまうのである。私はこのような矛盾に対し疑問を持つようになり、この問題のキーポイントは、性別役割分業を打ち破ろうとする女性に対し、頑固に性別役割分業を守り続け、一向に家庭へ進行しようとしない男性にあるのではないかと考えるようになった。「もし男性がもっと家事・育児をしてくれたら、女性の負担は軽減され、性別役割分業観も和らぎ、女性の社会進出はさらに加速し、少子化を緩和させることにもつながっていくのではないか」こんな思いから、私は男性の家事・育児についてもっと知りたいと思うようになったのである。

 ジェンダーに関しては、どちらかというと女性に関して語られることが多いように感じる。性別役割分業や社会進出など、ジェンダーによって不利な立場にあるのは女性であることが多いからだろうが、その影には家事・育児をしたいと望んでいる男性の苦しみもあるのではないだろうか。就職活動で女の子が決まってしていたあの質問をもし男の子がしていたら、「法律で決まっている範囲のことはありますので」と企業側は女の子と同じ反応をしていただろうか。むしろ、社会進出を望む女性よりも、家事・育児を望む男性に対してのほうが、世間の風当たりは強いのではないだろうか。本研究で私は、そんな厳しい現実の中で、まだまだ少数しかいないが、性別役割分業を打ち破り、家事・育児に積極的に取り組んでいる男性たちの家事・育児の実態とその意識を明らかにすることで、彼らのような生き方を支持する人々が少しでも増えてくれることを願っている。


→第1章