Last updated : Jan. 20/05 

育時連メーリングリストで話題になった本

『結婚の条件』 小倉千加子/著 朝日新聞社 ◆その2◆

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 大越将良

 小倉千加子のエッセイ「結婚の条件」はオモシロイ。いまどきの女性の(特に彼女のカスタマーである女子大生)の心情を、キッパリと言い切っていく小気味よさはたまらない。多少毒もはいっていて、ピリッとしびれるし、ふんふんと思わずうなってしまう。これを読むと、どうも育時連的に「家事育児を主体的にやります」なんてことのみでは、お嬢様化した中流階級の娘には、結婚していただけないようだ。なんといっても依存できるだけのカイショウ(収入)がなければ話にもならないらしい。 この本は徹底的に女性の(しかもお嬢様化した女子大生の)視点で書かれている。でも結婚は両性でするもの(同性でもありうるというのはここではおいといて)、男性側の状況も気になる。さらに、大学生は300万人弱、ざっと半分は高卒である。このエッセイには高卒女性は出てきても男性は出てこない。ではどうなっているのか。玄田有史の「仕事の中の曖昧な不安」、佐藤俊樹の「不平等社会日本」、苅谷剛彦の「学校・職業・選抜のメカニズム−高卒就職の日本的メカニズム」などを横にらみしつつ、感想らしきものを書いてみたい。

 小倉氏は、ある講演先の農家の青年たちから、大阪の女子大生に農家の嫁に来てくれないかと頼んでほしいといわれる。50万円もらえる、両親とは別居、農作業はさせない、を条件にあげたが、そこには「そんなんで自分の一生を棒に振りたくない」という女子短大生がいた。結局彼女たちが結婚したいのは、サラリーマンの次男坊で、そんなに経済力は求めないけど、せめて年に一度は家族で海外に旅行に行き、こどもは二人私立大に通わせる(自分の家がそうだったから)程度の経済力でいいそうである。彼女たちの本心も読み違えてはならないらしい。「夢のある人がいい」というのは、まちがっても男のロマンなんかを求めるのではなく出世の野心を持った勝ち組候補だし、「やさしい人」というのは困った友人の借金の保証人になるようなのではなく、たまには食事を作り妻を休ませ自由にさせてくれることらしい。なんとも小倉氏らしい”皮肉”のきいた表現である。こういった考え方は女性学の世界では、女子短大生パーソナリティといわれ、高卒の堅実さや四大卒のキャリア志向とも違い、いまでは中堅以下の四大卒までこのパーソナリティに入るらしい。

 小倉氏は女子大教員歴も長い筋金入りのフェミニストで、こんな調子で、彼女たちの本音を実もふたもなく、かつ断定調で書くので、こちらもついつい分かったような気になってしまう。

 さらに、女性の結婚の目的には、生存(結婚しないと食べていけない)、依存(軽い玉の輿)、保存(キャリアと両立)の3種類があるらしいし、専業主婦にも2等(パートしないと生きていけない)、1等(パートなしでもお買い物可)さらには特等(”消費”としてのお仕事ごっこ可)と階層があるという。とにかくお嬢様化した女子大生は、親元にパラサイトしつつ理想の相手が現れるのを待ち、やがて晩婚化し非婚へとつづくのだ。

 一方男性たちはどうなっているのだろう。玄田氏の「仕事の中の曖昧な不安」を読むと、豊富なデータのなかに働く(働きたいと思っている)若者(特に男性)の置かれている状況がみえてくる。フリーターが増えているといわれるが、なりたくてなっているのではなくむしろ構造的に生み出されているという。中高年の(特に大卒)はむやみに解雇されず、若者の正規採用の機会を奪っている構図は、世代対立だという。そして面白みのないOJTすらも無いきついだけの仕事にいやけさし、若者は転職し失職しフリーターとなり、低収入のため(まもられた中高年サラリーマンの)親元にパラサイト(これもひとつの経済合理か)しているのだ。仮に大企業には入れたとしても、待っているのは長時間労働。30代の男性で週60時間以上働く人の数が増加に転じているという。女性では20代後半にそれが見える。収入の格差は実感とは違って統計的には広がっていないらしい。広がっているのは仕事格差、つまり見かけ上の収入は一緒でも”きつさ”がまるで違うのだ。恋愛することも出会うこともできないほど働かされている若者たちがいる。

 苅谷剛彦の「学校・職業・選抜のメカニズム−高卒就職の日本的メカニズム」によれば、日本の高校での、教育的責任をもって行われる生徒の就職指導というメカニズムは日本独特であり、戦後の教育と経済の問題を捉えなおすかぎがここにあるという。「多くの先進社会では、潜在的失業者予備軍ともいえる大学にいかない(行けない)若者たち」が、日本では金の卵とかつて呼ばれていた。これは高度成長で製造業の国内投資は盛んで、右肩上がりだった時代だ。勤勉さや昇進に当たって大卒エリートと一般労働者の間に断層は無く、ノンエリートも競争に巻きこんで、がんばらせる仕組みがかつて日本にはあった。

 アメリカでは、「忘れられた半分たち(The Forgotten Half)」という言葉がある。大学へ行かず高卒ですぐに就職し、転職と失職をくりかえしながら労働市場をさまよう若者たちがそう呼ばれ、彼らに焦点を当てたレポートが出されたという。玄田氏の本から浮かび上がってくるのは、日本の「忘れられた半分たち」の出現であり、小倉氏の本から言えるのは、結婚市場からも忘れられようとしているかのような彼らである。

 「不平等社会日本」(佐藤氏)によれば、親の社会的地位が子の社会的地位を再生産しているという。であれば、「可能性としての中流が崩壊」し、努力してもしょうがないという新たな階層社会が生み出されつつあるのだ。実社会での競争を100m競争にたとえれば、結果がすべての競争で、あるものはスタートラインのはるか手前から全力でダッシュしており、あるものはゴール近くにすでにいるのだ。

 さて結婚の条件に戻ろう。女性は上昇婚で経済的に依存できる相手を求め、男性は自分を立ててくれる自分より収入や学歴の低い女性をもとめる。高学歴(キャリア志向)の女性とフリーター男性は結婚できずに非婚化するばかりなのか。”依存”的結婚がハイリスクになりつつある中、つぎの結婚の条件はどう変わっていくのか。

 山田昌弘氏はお嬢様化した女子大生に言う。「そんな徳のある男性は、とっくに徳のある女性とくっついているのだ」と。であれば、結婚の条件とは結局ひたすらに自分をみがき続けるしかないのかもしれない。

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